2019.06.21 11:05アンティゴネーの台詞にたいするゲーテの不満今日の「西洋古典文化論」の講義では、エッカーマン『ゲーテとの対話』のなかで、ゲーテがソポクレース『アンティゴネー』について述べていることについて話をした(取り上げたのは「1827年3月21日水曜日」「1827年3月28日水曜日」「1827年4月1日日曜日」のセクションで、岩波文庫の日本語訳ではすべて下巻におさめられている)。 学生からの反応がもっとも多かったのは、やはりというべきか、『アンティゴネー』の904~920行―「本劇一番の物議をかもす部分」(中務訳書「解説」188頁)―をめぐる、ゲーテの見解についてだ。クレオーンを前にアンティゴネーが述べる台詞にあたるこの部分がなぜ「物議をかもす」のかというと、彼女の主張内容が、いささか非道徳的とみなされうる...
2019.06.20 12:50ユングの「エレクトラ・コンプレクス」今日の「現代神話学」の講義では、ユングの神話論を取り上げ、とくに彼のフロイト理論への反応の仕方に重点を置いて話をした。解説の材料にしたのは、「エディプス・コンプレクス」という題名の講演録(『創造する無意識』所収)で、ここで提示される「エレクトラ・コンプレクス」について、多くの学生がコメントを書いてくれた。目立ったのは、本来の(古代ギリシアの)伝承を念頭に置いた場合の、「エレクトラ・コンプレクス」なる名称の当否にかんするものだ。結論をいえば、「納得のいく命名ではない」という意見が多かったわけだが、これを受けて僕もいまいちどユングの議論について考えてみた。 まずはユングがどのようにして「エレクトラ・コンプレクス」の説明をしているのかみてみたい。こうしたごく...
2019.06.19 12:12『エディプス王』と『ハムレット』をめぐるフロイトの見解前回の「現代神話学」の講義では、フロイトの『夢解釈』(第5章)を取り上げ、「息子による父親への憎悪・母親への恋着」テーゼを支える物語としての『エディプス王』の話をしたのだが、学生のコメントシートに、「『エディプス王』以外でフロイトが持ち出す神話はないのか?」という旨の質問が複数みられた(論証の手段として、『エディプス王』だけではあまりに恣意的だと思ったのだろう)。そこで、明日の回では、この質問に答えるという意味で、フロイトが『エディプス王』の件の直後に提示する、シェイクスピアの『ハムレット』の議論を紹介することにした(もはや「神話」ではないが、仕方ない)。よく知られた議論であるかもしれないが、ここでは自分用に要点をメモしておきたい(なお、日本語訳はすべ...
2019.06.14 12:33演劇鑑賞への誘い今年度前期の金曜日に担当している「西洋古典文化論」の講義では、ソポクレースの『オイディプース王』と『アンティゴネー』についてさまざまな話をさせてもらっている(ちなみに今日はヘーゲルの『アンティゴネー』論の紹介をした)。 ここ数回で嬉しく思っているのは、「この授業を受けて、じっさいに演劇を観にいってみたいと思うようになった」というコメントを何人かの学生からもらっているということだ。なかにはそれを実現させた学生もいるようで、ギリシア悲劇ではないが、6月頭に大阪で上演された、岡田将生さん主演の《ハムレット》を観にいったとのことだ。少し大げさかもしれないが、「教師冥利に尽きる」という言葉は、こういうときに使いたくなる。 ちょうどいま、新国立劇場で、生田斗真さん...
2019.06.12 13:18フロイトの『夢解釈』と『アエネーイス』明日の「現代神話学」の講義では、フロイトが『夢解釈』のなかで提示する「エディプス・コンプレックス」の話をする予定だ。準備を進めるなかで、以前からずっと気になっていた論文が1本あったので、読んでみた。それは、Gregory A. Staleyという研究者による'Freud's Vergil'というものだ(詳細は下の【参考文献】の欄を参照)。フロイトと古典古代については、彼が『文化の中の居心地悪さ』で古代ローマを「心的存在」(psychisches Wesen)と呼んでいることにしばしば言及がなされるが、Staleyも、この記述を出発点として、フロイトが、ウェルギリウス―古代ローマ第一の詩人である―の『アエネーイス』を著作のなかでどのように利用しているかと...
2019.06.11 13:25「ヨーロッパ思想の二つの礎石」の解説を終えて岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』を教科書にした「西洋哲学」の講義、今日で(全15回のうちの)8回を終えた。イントロダクションにあてた第1回を除く7回の講義では、岩田が「ヨーロッパ思想の二つの礎石」として提示する(iii~v頁)、「ギリシアの思想」と「ヘブライの信仰(=キリスト教)」の解説を行った(前者に4回、後者に3回をあてた)。 ただ、この7回で「二つの礎石」にかんする岩田のすべての説明をカバーできたわけではない。スケジュールの都合上、泣く泣く割愛した部分が大きく3つある。1つ目は、「ホメロス・ギリシア悲劇」(19~42頁)だ。『イリアス』や『オイディプス王』などの注目箇所(読みどころ)がわかりやすく記されているのだが、講義テーマの「哲学・思想」と内容...
2019.06.07 12:23ストローブ&ユイレの映画におけるアンティゴネーとイスメーネー今学期の「西洋古典文化論」の講義は、ギリシア悲劇をテーマとしているが、今日は、ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレが監督を担当した映画《アンティゴネ》のDVDを教材にした(DVDの詳細は下のリンクを参照)。この映画は、ヘルダーリンの翻訳を下敷きにしたブレヒトの『アンティゴネ』(1948年)が原作となっており、1991年にシチリア島の円形劇場を舞台として撮影されたものだ。 講義のなかで見せたのは、アンティゴネー(アストリート・オフナー)とイスメーネー(ウルズラ・オフナー)の姉妹が兄ポリュネイケースの埋葬をめぐって会話をする、冒頭場面だ(ちなみに、名前から推測できるように、アンティゴネーとイスメーネーを演じる俳優2人は、実際の姉妹である)。ここでの...
2019.06.06 12:25「融即」論の系譜?今日の「現代神話学」の講義では、フランス社会学を代表する人物であるリュシアン・レヴィ=ブリュール(1857~1939)を取り上げ、彼が『原始神話学』(1935年)で展開する神話論の紹介をした。 『原始神話学』の内容を理解するためには、レヴィ=ブリュールの代名詞ともいえる、いわゆる「融即」(ゆうそく、participation)にかんする知識が不可欠なので、丁寧に説明をした。これは、簡単にいえば、「二つの状態の非矛盾的共存」のことを指し、たとえば『未開社会の思惟』(1910年)には、「それ自身であると同時にまたそれ自身以外のものでもあり得る」(日本語訳95頁)という説明がみえる。 「未開社会」の「前論理的心性」の核とされているこの「融即」について、(ある...
2019.06.04 13:05聖書との付き合い毎週火曜日の「西洋哲学」の講義、前回は旧約聖書、そして今日は新訳聖書をテーマにした。教科書にしている岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、2003年)の解説にしたがいつつ、とくに重要な部分のみを紹介するというスタイルだ。 それにしても、自分が大学で聖書について講じるようになったということに、正直とても驚いている。僕はクリスチャンであるわけではなく、聖書をはじめて読んだのも、学部1回生の頃のことだ。東京にあるキリスト教系の大学で英文学を学んでいたのだが、聖書を手にとったのは、そのときリーディングの授業を担当してくださっていた先生のある一言がきっかけだ。いまでもはっきり覚えているが、その先生は、僕たち学生の聖書にかんする知識の乏しさ―教材のなか...
2019.05.14 13:17アリストテレースの「幸福」と毎日の行為のモチベーション今日の「西洋哲学」の講義では、アリストテレースを取り上げた。教科書にしている、岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、2003年)にしたがって、主に彼の倫理と政治にかんする考え方について話したのだが、前者にかかわることで、学生の印象的なコメントがあったので、簡単に紹介しておきたい。 話の材料にしたのは、『ニーコマコス倫理学』における有名な議論である。アリストテレースは、あらゆる行為が「善」を目的としている、というテーゼから出発する(1094a)。どのような行為も、「目的手段の連関のもとに一定の階層的構造をなして」(岩田書75頁)おり、それはすべて「善」につながる、というわけだ。これをふまえて、アリストテレースは、もう少し先(1095a)で、「...
2019.05.10 11:05世界の神話を紹介する講義の計画今学期ひとつの大学で行っている「現代神話学」は、19世紀後半から20世紀後半までのあいだに出てきた、神話にかんするさまざまな学説を紹介する講義だ。要は「学説史」を扱っているわけだが、学生たちは、耳慣れないヨーロッパ人学者たちの議論について、毎回楽しみながら勉強をしてくれているようだ。 学説の紹介をするときには、そこで取り上げられている神話物語それ自体についても話をすることになるわけだが、その物語のほうにも興味をもってくれる学生が毎回数多くいる。たとえば、19世紀の比較言語学者であるF・M・ミュラーを扱った回では、彼の(いまや悪名高い)「言語疾病説」の話がメインとなる一方、彼が議論の材料として取り上げる、ギリシア神話の「ケパロスとプロクリスの物語」の紹介...
2019.05.07 13:25相対主義を相対化するための「イデア論」今日の「西洋哲学」の講義では、プラトーンを取り上げた。「イデア論」の解説をしたが、学生たちの多くはこれに強い興味を覚えたようだ。 学生が「イデア論」に興味をもつ、というのは、僕としてもとても嬉しい。というのも、それは、「絶対的なもの」―「真理」といいかえてもよい―に意識を向けることにつながるように思われるからだ。大学で教える仕事をしていて、僕は、今の学生たちがひたすら相対主義を好むことを目の当たりにしている。授業中の発言やリアクションペーパーには、「人によって違う」「ケースバイケースだ」「唯一のことにこだわる必要はない」「「絶対」などというものはない」といった類の表現がこれでもかというくらいに登場するのだ。ポストモダンが完全にデフォルト化した時代に生ま...