里中満智子氏による「マンガギリシア神話」シリーズ(中公文庫、2003~2004年、全8冊)は、それぞれの巻に「解説」が付されているという点が、通常のマンガ本と異なる。この「解説」は、マンガ本体とならんで、注目に値するものだ。執筆者は、西村賀子氏。言わずと知れた、日本におけるギリシア神話研究の権威で、氏の『ギリシア神話―神々と英雄に出会う』(中公新書、2005年)で、ギリシア神話の世界に引き込まれた人も多いだろう。このたび、ふと思い立って、西村氏の8冊分の「解説」を一気に読んでみたのだが、そこで興味深い記述に出会った。以下では、それを簡単に紹介したい。(ちなみに、下に貼ったリンクは、第1巻の出版社紹介ページである。)
これは西村氏自身も述べていることだが(第8巻「解説」234頁)、第6巻・第7巻・第8巻の「解説」は、ジェンダーの視点でギリシア神話の説明がなされている。第6巻ではアマゾーン族が、第7巻ではトロイアー戦争と女性(ex. ヘレネー)が、第8巻では神話上の女性表象一般がテーマとなっている。この三つの巻での西村氏の分析対象は、一言でいえば、「家父長制の犠牲者としてのギリシア神話の女性たち」である。このテーマについては、専門家による研究も多いが、僕が今回あえて西村氏の「解説」にスポットライトを当てるのは、氏が、自らの関心にメタ的な説明を与えているからだ。わかりやすくいいかえれば、氏がどのような意識で「ギリシア神話の女性像」に注目しているかが、「解説」のなかではっきり示されているのだ。
前置きはこれくらいにして、氏の言葉に耳を傾けてみよう。
家父長制はジェンダー理論のキーワードの一つですが、神話の背景に家父長制があることをはっきりさせることによって、神話にひそむ偏向が見えてきます。いわば神話の「からくり」が明るみに引き出されるわけです。…神話も、批判的に読むとつまらなくなるどころか、さらに魅力あるものになります。というのも、神話の作り手たち自身も気づいていなかった大きな枠組みを認識し、神話を相対化した上で再評価することができるからです。神話はもとより、他のさまざまな文化事象も、ジェンダー視点から眺めることによってはじめて、私たちは現実世界の成り立ちを十分に理解できるようになります。そしてそれによって私たちはこの社会を望ましい方向に、すなわち男も女も生物学的な性別にとらわれずに人間としてよりよく生きることのできる方向に…変革していく糸口を見いだすことができるのだと思います。そこにこそ、神話をジェンダー視点から読む意義があるのではないでしょうか。(第8巻「解説」234~235頁)
いうならば、西村氏は、ギリシア人・ローマ人の「無意識」をえぐり出そうとしているのだと思う。「ジェンダー」という現代的ツールを用いることで、古代人の脳裏になかった思考を可視化させようとしているのだ。
厳格な歴史主義者(historicist)にとっては、西村氏のアプローチは、アナクロニズムにみえるかもしれない。西村氏もこれを意識してか、「従来の規範的な読み方から見ると、このような批判的な読み[ジェンダー視点の読み(筆者注)]は神話の価値や魅力をおとしめるもののように映るかもしれない」(第8巻「解説」234頁)と述べている。ただ、僕は、歴史主義(古典文献学主義、ともいいかえられよう)に立ち向かう氏の姿勢に賛辞を呈したい。歴史への意識が重要なのは僕も認めるが、それ以外の視点を採用してはじめてみえてくるものも数多くあるのだ。誤解をおそれずにいえば、ギリシア人・ローマ人のものの見方はいったんカッコに入れ、あえて現代的な視点で過去をとらえてみるべきなのだ。
西村氏の「解説」は、上記の意味で、ギリシア神話の「裏側」を僕たちに見せてくれている。マンガと一緒に必ず読んでおくべきだと思う。
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