2019.06.22 12:20ギリシャ・ローマの文献の研究にかんするゲーテの見解エッカーマン『ゲーテとの対話』は、僕の大のお気に入りの本のひとつだ。気が向いたときに拾い読みをしている(日にちを基準に内容が細切れにされているので、拾い読みに向いているのだ)が、今日も何気なく手にとってみて、面白い記述に出会ったので、そのことについて簡単にメモしておきたい。(なお、本記事の日本語引用は、すべて岩波文庫版の下巻から借用したもので、これについて詳しくは下の出版社のリンクを参照されたい)。 読んだのは「1827年4月1日日曜日」のセクションで、ここでゲーテは、ギリシャ・ローマの文献―平たくいえば「古典」―を研究する意義について、エッカーマンにたいし、熱弁をふるっている。たとえば以下のごとくである。「生れが同時代、仕事が同業、といった身近な人か...
2019.06.16 12:10『ユリシーズ』と『百合若大臣』(その二)昨日(2019.6.15)の記事の続き。井上章一『南蛮幻想―ユリシーズ伝説と安土城』(詳細は下の出版社のリンクを参照)の第五章にかんするメモ。 第四章で取り上げられていたのが、「伝播説」(=『百合若大臣』は『ユリシーズ』を土台としている、とする説)への学者たちの賛同だとすれば、第五章で井上が描くのは、この「伝播説」の衰退(1920・1930年代のこと)である。学界の認識の変化を生み出したとされるのは、山科言継(やましな・ときつぐ)という戦国時代末期の人物が残したとされる『言継卿記(ときつぐきょうき)』なる日記で、その1551年1月5日のところに、「京都で『百合若大臣』が演じられた」旨の記述があることが発見され、これを民俗学者の中山太郎(なかやま・たろう...
2019.06.15 13:02『ユリシーズ』と『百合若大臣』(その一)ここ数日、移動時間などを利用して、井上章一『南蛮幻想―ユリシーズ伝説と安土城』(詳細は下の出版社のリンクを参照)の第四章と第五章を読んでいた。この2つの章で井上が取り上げるのは、ホメーロスの『ユリシーズ』(『オデュッセイア』の英語タイトル)と幸若舞(こうわかまい)の作品である『百合若大臣(ゆりわかだいじん)』の関係性をめぐる、複数の知識人の学説だ。備忘録ということで、今日の記事では第四章を扱い、第五章については、明日(2019.6.16)の記事で取り上げようと思う。 そもそもなぜ『百合若大臣』と『ユリシーズ』なのかといえば、両作品が、その時間的・空間的隔たりにもかかわらず、きわめてよく似た物語展開を有しているからだ。その展開の仕方は、「遠征先の大規模な...
2019.06.08 08:38ホフマンスタール『エレクトラ』の日本初演をめぐって今年3月の刊行後すぐに入手したものの、積読状態になっていた、関根裕子『黙って踊れ、エレクトラ―ホフマンスタールの言語危機と日本』(詳細は下の出版社のリンクを参照)を、今日ようやく本棚から取り出した。読んでみたのは、現在僕が取り組んでいる「日本における西洋古典受容」の研究と関連する、第V章「松居松葉による『エレクトラ』日本初演」だ。以下はその簡単な備忘録。 この章でテーマとなっているのは、松居松葉(まつい・しょうよう、1870~1933=明治3~昭和8)という演出家による、フーゴー・フォン・ホフマンスタール(1874~1929)の『エレクトラ』の日本での上演だ。これは、松葉率いる公衆劇団によって、1913年(=大正2年)に東京帝国劇場で行われたものだが、...
2019.06.05 05:00オウィディウス『変身物語』の新訳オウィディウス『変身物語』の日本語訳として、僕たちは、田中秀央・前田敬作訳『転身物語』(人文書院、1966年)および中村善也訳『変身物語(上・下)』(岩波文庫、1981年/1984年)をすでにもっているわけだが、このたび、新しい訳書がこれに付け加わることとなった。京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」の『変身物語』がそれである(ただし、出版されたのは、第1巻~第8巻をおさめた第一分冊のみで、第9巻~第15巻をおさめた第二分冊については、また別のタイミングで出るとのこと)。訳者は、日本のオウィディウス研究の権威、高橋宏幸氏である。 訳文については、読者それぞれの観点から評価してもらうほかないが、せっかくなのでここで少しだけ批評めいたことをしてみたい。高橋訳...
2019.06.02 10:22日本文学史における「偉人伝」というジャンルこのところ、文筆家の澤田謙(さわだ・けん、1894~1969)による『少年プリューターク英雄伝』(1930年)が、日本文学史のなかでどのように位置づけられるか、という問題について考えている。当初は、「伝記」の系譜に入るのだろう、と当てずっぽうで思っていたが、日本文学史についてあれこれと調べるなかで、どうやら事はそれほど簡単ではないことに気づいた。僕にとって重大な発見は、そもそも、日本文学史においては、「伝記」というジャンルを認めるのが困難なのではないか、ということだ。 ただ、日本文学について僕は完全な素人なので、この判断にはなかなか自信をもてないでいた。僕の単なる知識不足・調査不足である可能性も大いにあるからだ。そのようななか、今日、かの中野好夫の名著...
2019.05.31 13:33鶴見祐輔とトマス・カーライル『英雄崇拝論』プルータルコス『英雄伝』は、これまでさまざまなかたちで日本に紹介されてきたが、その受容の歴史において、鶴見祐輔(つるみ・ゆうすけ、1885~1973)の存在はとくに重要だ。官僚・政治家として活動していた彼は、その本業のかたわら、『英雄伝』のすべてを日本語に訳し(ただし英語からの重訳)、彼の訳書は戦前・戦後の日本で広く読まれたのである。 鶴見に『英雄伝』の全訳という大仕事をさせたのは、まちがいなく、彼の「英雄」的存在への愛だった。彼は『英雄待望論』なる本を書いたりもしているわけだが、今回テーマにしたいのは、彼とトマス・カーライル(Thomas Carlyle、1795~1881)の『英雄崇拝論』On Heroes, Hero-Worship, and t...
2019.05.30 12:57プラトーン『ポリーテイアー』と日本の国家主義(その二)昨日2019.5.29の記事の続き。納富信留『プラトン 理想国の現在』(詳細は下の出版社のリンクを参照)の第II部「『ポリテイア』を読んだ日本の過去」についての感想の二つ目。 それは、鹿子木員信(かのこぎ・かずのぶ、1884~1949)という、政治的には極右の人物にかんすることだ。彼は、もともとは軍人であった(海軍兵として日露戦争に従軍した)が、のちに哲学研究者となり、プラトーンの『ポリーテイアー』を、自己流の解釈により「政治化」させた。納富は、この鹿子木の話に入る前に、同じく右派の知識人である北一輝(きた・いっき、1883~1937)、津久井龍雄(つくい・たつお、1901~1989)、大川周明(おおかわ・しゅうめい、1886~1957)について解説し...
2019.05.29 13:02プラトーン『ポリーテイアー』と日本の国家主義(その一)先日、「日本における西洋古典受容」をテーマとしたワークショップで、プルータルコス『対比列伝』を「政治化」した、澤田謙(さわだ・けん、1894~1969)という文筆家について話をさせてもらった(2019.5.26の記事で取り上げているので、先にこちらをご覧いただけると幸いである)。その質疑応答の折、参加者の方から「問題意識が共通しているので読むべき」として紹介していただいた本がある。納富信留『プラトン 理想国の現在』がそれだ(詳細は下の出版社のリンクを参照)。 この本、僕は刊行後すぐに入手したのだが、長らく積読状態になっていた。ようやく読むタイミングがやってきたということで、僕の発表テーマと関連する、第II部「『ポリテイア』を読んだ日本の過去」を読んでみ...
2019.05.09 01:45霊魂をめぐるE・B・タイラーの議論ハンス・G・キッペンベルク『宗教史の発見―宗教学と近代』(詳細については下のリンクを参照)の第四章「近代文明における原始宗教の現存」を読んだ。解説の対象とされているのは、「アニミズム」(自然界の存在物のそれぞれに霊魂が宿っている、という考え)をめぐる議論で知られるイギリスの人類学者、E・B・タイラー(Edward Burnett Tylor、1832~1917)だ。 とくに面白いと思ったのは、ヴィクトリア時代の「自然科学至上主義」にたいするタイラーの立場を論じた部分である。キッペンベルクは、当時の学問的状況を次のようにまとめている。 タイラーは、イギリスにおいて、学問の業績に対する正反対の期待が互いにぶつかり合っていた時代に著作に勤しんでいた。一八五〇...
2019.05.05 11:22クリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ』の補助資料今日は、京都市勧業館(みやこめっせ)で開催されていた「春の古書大即売会」に行ってきた。2回目の訪問だった(1回目のことについては、2019.5.2の記事で取り上げたので、こちらもご覧いただけると幸いである)が、ひとつ、嬉しい買い物ができた。恒文社の「クリスタ・ヴォルフ選集」の一冊、『ギリシアへの旅』(詳細は下のリンクを参照されたい)の美本を安価で入手できたのである。 旧東ドイツの小説家クリスタ・ヴォルフ(Christa Wolf、1929~2011)が、僕のような西洋古典学徒にとって重要なのは、とりわけ彼女の『カッサンドラ』(Kassandra、1983年)および『メデア―複数の声』(Medea: Stimmen、1996年)という作品ゆえだ。前者では...
2019.05.04 09:10北欧神話における原初の殺害必要があって、北欧神話の概説書として定評のある、谷口幸男『エッダとサガ―北欧古典への案内』(詳細は下のリンクを参照)を部分的に読んだ。そのなかで興味深い記述を見つけたので、今回はそれについてメモしておきたい。 谷口は、北欧神話における宇宙創造をギリシア神話におけるそれと比較している。次のごとくである。 …全体としてみるとき、エッダ神話はあくまで豪快にして悲劇的である。荒々しくて暗い。ギリシャ神話の優美軽快さとははっきり特質を異にしている。… …ギリシャ神話では、ヘ[ー]シオドスの『神統記』によれば、はじめにカオス(混沌)が生じ、次いでガイア(大地)ができ、エロ[ー]ス(愛)が生れる。そのガイアがウ[ー]ラノス(天)を生み、エロ[ー]スの活動により両者が...