昨日2019.5.29の記事の続き。納富信留『プラトン 理想国の現在』(詳細は下の出版社のリンクを参照)の第II部「『ポリテイア』を読んだ日本の過去」についての感想の二つ目。
それは、鹿子木員信(かのこぎ・かずのぶ、1884~1949)という、政治的には極右の人物にかんすることだ。彼は、もともとは軍人であった(海軍兵として日露戦争に従軍した)が、のちに哲学研究者となり、プラトーンの『ポリーテイアー』を、自己流の解釈により「政治化」させた。納富は、この鹿子木の話に入る前に、同じく右派の知識人である北一輝(きた・いっき、1883~1937)、津久井龍雄(つくい・たつお、1901~1989)、大川周明(おおかわ・しゅうめい、1886~1957)について解説しているが、その「北一輝、津久井龍雄、大川周明にもまして、「猶存社」で彼らと共に活動した鹿子木員信こそ、より本格的にプラト[ー]ンを研究し、生涯にわたって『ポリ[ー]テイア[ー]』を理想とした国家主義者であった」(133頁)とのことだ。
鹿子木は、「軍国主義、大亜細亜主義、そして帝国主義の必然性」(134頁)を訴えるような人物であったようで、とくに面白いのは、彼が「「全体主義」を提唱した最初の理論家」であり、「その全体主義の本源はプラト[ー]ンに求められた」(135頁)ということだ。納富は、鹿子木のプラトーン理解を「ロマン主義的」(135頁)と評したうえで、そこに、「ロマン主義的な理想主義哲学が国粋主義と結合してファシズムに転化する」(137頁)というドイツ的現象をみてとる。昨日の記事で触れたこと(『国家』という表題をめぐる問題)ともかかわるが、どうやら当時の右派の日本人がプラトーンを読むとき、それは不幸にも「ドイツ流儀」の営みとなってしまったようだ。
僕がこの鹿子木というプラトーン研究者に興味を覚えたのは、僕の研究対象である澤田謙(さわだ・けん、1894~1969)もまた、西洋古典作品(具体的にはプルータルコスの『対比列伝』)に「国家主義的」解釈を加えた、右派の知識人であるからだ。見逃せないのは、この人物のなかにもドイツ的な思想が流れ込んでいた、ということで、彼は著書の『ヒットラー伝』(1934年)で、ヒットラーを「英雄」に祭り上げているのである。彼の『少年プリューターク英雄伝』(1930年)に登場する「英雄」と、このドイツの「英雄」は、澤田の頭のなかでは一括りにされていただろう。
今回、納富の本からは、とくに「右翼系知識人と西洋古典作品」の問題について、非常に多くのことを学ばせてもらった。敬意とともに感謝をしたい。
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