先日、「日本における西洋古典受容」をテーマとしたワークショップで、プルータルコス『対比列伝』を「政治化」した、澤田謙(さわだ・けん、1894~1969)という文筆家について話をさせてもらった(2019.5.26の記事で取り上げているので、先にこちらをご覧いただけると幸いである)。その質疑応答の折、参加者の方から「問題意識が共通しているので読むべき」として紹介していただいた本がある。納富信留『プラトン 理想国の現在』がそれだ(詳細は下の出版社のリンクを参照)。
この本、僕は刊行後すぐに入手したのだが、長らく積読状態になっていた。ようやく読むタイミングがやってきたということで、僕の発表テーマと関連する、第II部「『ポリテイア』を読んだ日本の過去」を読んでみた。ここでは、一言でいえば、明治時代から戦後(昭和時代後期)にかけて、プラトーン『ポリーテイアー』が日本でどのように読まれてきたのかが論じられている。数多くの知識人(と彼らの著作物)の学問史的位置づけがわかりやすく説明されており、この上なく勉強になったのだが、僕がとくに興味深く思ったことは2つある。今回の記事では、長い文章になるのを避けるため、そのうちの一つ目だけを記しておく(二つ目については、明日2019.5.30の記事で扱う)。
さて、それは、『ポリーテイアー』の日本語書名にみえる政治性にかんすることである。プラトーンのこの書物は、多様な解釈を許す書物なので、訳者が内容をどのように理解するかによって、書名も変わってくる。納富によれば、『共和国』『理想国』『国体』『国家』の4つが存在する、ということだ(88頁)。このうち、日本でいまもっとも普及しているのは、『国家』だが(たとえば岩波文庫の藤沢令夫訳がそうだ)、じつはこの表現は、「ドイツ語"Der Staat"の翻訳で、明治期から使われ、ドイツの強い影響下にあった戦前の「国家学」(Staatslehre)を背景に広まった」のだという(89頁)。日本は、とくに第二次世界大戦において、ヒットラー率いるドイツと連携し、(広い意味での)国家主義を共有したわけだが、この事象が『ポリーテイアー』の受容のあり方にも影響を及ぼしたというのは驚きだ。
僕がこれを面白いと思ったのは、同じ事情が、僕の研究テーマであるプルータルコス作品の受容にも当てはまるといえそうだからだ。プルータルコスの作品は、本来は(つまりギリシア語では)『対比列伝』なのだが、じつは日本では、その最初の翻訳書(森晋太郎による、明治37年=1904年刊行のもの)の出現以来、『英雄伝』という表現が定着している(最新の「西洋古典叢書」の訳書においても、これは踏襲されている)。僕は、「英雄」という日本語表現は、どこかで国家主義とつながっている―たとえば『少年プリューターク英雄伝』を著した澤田謙は、プルータルコス作品の主人公だけでなく、ムッソリーニやヒットラーのことも「英雄」と呼んでいる―と考えており、その政治的含意は絶対に見逃してはいけないと思う。なぜ、明治後期に日本に紹介され、大正・昭和の全体主義時代に広く読まれたプルータルコス作品に、『対比列伝』ではなく、『英雄伝』という書名が与えられていたのか。
納富は、戦後の日本で、件のプラトーン作品の書名が『国家』で統一されていったことにかんして、「戦前に『国家』という標題が「国家学」や「国家主義」と無関係ではなかったことは批判的に意識される」ことがなかったと述べている(160頁)。プルータルコス作品についても同じだ。僕たちは、その「危険」な歴史的背景のことはなにも考えず、『英雄伝』という書名を使ってしまっているのではないだろうか。
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