その改変点とは、「恋の仲介人」としてのアスカニウスにかんするものである。『アエネーイス』(第1歌)では、彼は、クピードーが変装した人物として登場する。ディードーを息子アエネーアースの味方にしておきたいと考えたウェヌスが、アスカニウスに化けたうえでディードーに恋愛感情を植えつけるよう、クピードーに指示するのだ。この作戦は見事に成功し、「アスカニウス」(の姿をしたクピードー)は、ディードーとアエネーアースの距離をぐんと縮めることになる。
他方、ベルリオーズ作品の場合、アスカニウスはたしかに「恋の仲介人」の役割を与えられているが、一連の行動は、すべて彼本人によるもので、「ウェヌスの指示によるクピードーの変装」の要素は消されているのだ。とくに注目すべき行動は2つほどある。ひとつは、トロイアー勢がはじめてカルターゴーに来たとき、アスカニウスが単独でディードーのところへ挨拶に出向く、というものである。彼は、非常に立派な態度で、自分たちの事情を相手に説明し、信頼を勝ち取るのだ。もうひとつは、これよりはるかに過激で、いまやディードーのお気に入りとなったアスカニウスは、彼女にもたれかかりながら、どさくさまぎれに彼女の指輪―これは亡夫シュカエウスとの愛の印なのだが―を抜き取って(!)しまう。そばにいたディードーの妹のアンナは彼の行為を見逃さないが、ディードー自身はこれにまったく気づかない。ベルリオーズのアスカニウスは、神的な力を用いることなく、ディードーに熱烈な恋をさせてしまうのだ。
僕は要するに、ベルリオーズがアスカニウスを「神」(=クピードー)ではなく「人間」として提示している点を強調したかったわけだが、じつは、今回のシャトレ座の公演にかぎっては、アスカニウスにいくらかの神性が付与されていることにも気づいた。第4幕の終わり近くで、アエネーアースとディードーの両想いが完全に成立した(余談だが、ここでの二人の二重唱はとても美しい)のを確認したアスカニウスは、あたかも神のように、二人の前から「静かに消える」のである。これは、演出のヤニス・コッコスによる、原作版「アスカニウス」―クピードーが化けているアスカニウス―を想起させるための工夫なのかもしれない。この「アスカニウス」も、役目を終えたところで、「静かに消える」からだ。
次回の講座でもこのDVDを用いる予定で、そのときはディードーの自殺のシーンを注意深く観察するつもりである(面白い改変点があれば、また記事にしたい)。
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