京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」は、ギリシア・ローマ時代の全著作物を日本語訳で提供せんとする一大翻訳叢書であるが、このたび、本シリーズに待望の一冊が付け加えられた。堀川宏氏の訳および解説による、アポッローニオス・ロディオスの『アルゴナウティカ』である(この記事では、堀川氏の処理と異なり、すべての固有名詞に促音と長音記号を付すことにする)。
西洋古典学を専門とする僕にとって、本叢書の新刊はすべて「待望」のものなのだが、今回はその「待望」の度合いが段違いに異なる。『アルゴナウティカ』は、ヘレニズム時代の名叙事詩として文学史に必ず名前が挙げられる作品なのだが、これまで日本の読書界に広く浸透していたのかというと、おそらくそのようなことはない。いまを遡ること20年ほど前、日本の西洋古典学の泰斗である岡道男による優れた日本語訳(『アルゴナウティカ―アルゴ船物語』)が、「講談社文芸文庫」の一冊として現れたが、これは長いあいだ品切の憂き目にあっており、現在でも基本的に入手困難である。日本語で『アルゴナウティカ』を読みたくても、そうできない状況が長らく続いていたわけだ。
そのようななか登場したのが堀川氏の新訳であるのだから、「待望」の書でないわけがない。興奮とともに中身を読み進めている僕が、いまここで(僭越ながら)簡単な紹介をさせてもらうことにするが、「ネタバレ」は最小限に抑えたいと思っているので、話は、本作の適切な理解のために欠かせない(そして堀川氏も「解説」で強調する)、「物語の展開の形式」にかかわる事柄に限定しておきたい。といっても、専門的な文芸論を展開するのではなく、その意図はあくまで、文学作品として本作を楽しむうえで無視できないポイントを明確にしておく、というものである。
ヘレニズム時代の文学を考えるとき、学匠詩人カッリマコスの名前ははずせない。「作品は細く小さく」をモットーに批評活動をすすめたこの人物は、当時の文学界で強い影響力を誇ったわけだが、通俗的理解では、われらがアポッローニオスは、この「カッリマコス・ルール」を破った異端的作家なのである。たしかに、イアーソーンという一人の男を主人公とし、金羊皮の入手を主題とする、総行数約6000の『アルゴナウティカ』は、ホメーロス叙事詩同様、「太く大きい」作品と呼べるかもしれない。だが、虚心坦懐に物語を追いかければ、この見方がミスリーディングな事典的説明であることがすぐにわかる。まず、主人公の点だが、この作品では、場面場面で、活躍する人物が替わっていく(ヘーラクレースが嘆いたかと思えば、ゼーテース&カライスが疾駆し、メーデイアが魔法の薬を準備したかと思えば、オルペウスが音楽を奏でる)ので、イアーソーンが単独の中心人物であるとはいえない。次に、主題の点だが、金羊皮の獲得は、アルゴー船乗組員が経験する数ある出来事のうちのひとつにすぎず(それどころか、たとえばレームノス島でのヒュプシピュレーとの交流の様子や、アミュコスとの拳闘試合の様子は、金羊皮奪取の様子より入念に描かれている)、この要素にもとづいて物語が有機的に展開していくわけではない。最後に、行数の点。上記2つの特徴からすでに明らかだが、6000という数字は、あくまで合計の値であって、これがひとつの大きな塊であるとはみなしにくい。長くなったが、堀川氏の言葉を借りつつまとめれば、『アルゴナウティカ』は、「一つひとつの精彩な場面を連ねることによって構成されて」いる作品で、「けっして『イーリアス』『オデュッセイア』のような、統一的な主題のもとに全体を大きく構築された大伽藍的な叙事詩ではない」(「解説」373頁)のである。
ヘレニズム時代風(あるいはカッリマコス流儀)の革新的叙事詩である、この『アルゴナウティカ』は、したがって、場面が次々に変化する、まったく飽きのこない形式をもっている。堀川氏の日本語表現も、小刻みに前に進み、この上なくテンポが良い。だれでも楽しく、リズミカルに読むことができるはずだ。ホメーロスの巨大楽曲も悪くはないが、アポッローニオスのメドレー作品を、いま、せっかくの機会に聴いてみようではないか。
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