ソークラテースと復讐

今日の「西洋哲学」の講義では、ソークラテースを取り上げた。教科書にしている、岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』の解説にしたがいながら、ソークラテースの生き様について話をしたのだが、学生たちは彼の信念の強さ―ピロソピアー(知を愛すること)の生涯にわたる実践―に感動を覚えたようだ。

 学生のコメントのなかに、「ソークラテースが(友人たちの脱獄のすすめを退けて)死んでしまったことが、残念に思った」「ソークラテースがあのようなかたちで死ぬのは本当によいことだったのか」「ソークラテースに死なれた友人たちの気持ちはどうなるのか」といったような、ソークラテースの死について違和感を表明するようなものが複数あり、これは興味深く思った。ソークラテースが牢獄で毒を飲んで死んだのは、国家の「不正」―言いがかりとしか考えられない罪状によって彼に死刑宣告を下したこと―にたいし、こちらも「不正」―この場合は、脱獄―で応答することはあってはならないと彼が考えたためである(プラトーン『クリトーン』)。ソークラテースは、相手に復讐をしなかったわけだ。

 上記の学生の考えは、きわめて真っ当なものといえるだろう。「やられたらやりかえす」というのは、人間社会では広く受け入れられた考えであるからだ。このたびのソークラテースの例外的行動については、岩田も以下のように述べている。

 ギリシア人の倫理では、「敵(加害者)を徹底的に害すること」は許されていたのではなくて、賛美されていたのである。復讐の正義観はいわば等価原理を基礎にして成立しているもので、その意味では、ギリシア人の中だけではなくて、広く人類の中で、ほとんど自明的な妥当性をもっていたし、現在世界中で頻発している民族紛争の現状を見れば明らかなように、今でももっているといえるだろう。

 正当な報復としての復讐を是認するこのような伝統的な正義観に対して、それを超克する思想を語ったのは、ヨーロッパでは、イエスを別にすれば、ソ[ー]クラテ[ー]スであり、そこに彼の思想の決定的な飛躍と時代との断絶があったのである。

(岩田『ヨーロッパ思想入門』65~66頁)

ソークラテースの信じた「正義」、そしてその帰結でもある彼の死を、僕たちはどのように受け止めればよいのだろうか。この上なく難しい問題である。

 「古代ギリシアにおける復讐」というテーマがあるとすれば、僕の場合はたとえばアイスキュロスの「オレステイア三部作」がすぐに頭に思い浮かぶ。オレステースの一家で復讐が連鎖的に起きるわけだが、その実行者の各々(クリュタイムネーストラー、エーレクトラー、オレステース)は自身の行為の正当性を主張し、三部作の最後の『エウメニデス』では、(母親を殺した)オレステースが神の赦しを得る。「正義」をめぐるアイスキュロスのこの処理について、もしソークラテースが感想を求められたら、彼はどのようなことを述べただろうか。(おまけで付けた下の絵は、ジャック=ルイ・ダヴィッドによる有名な《ソークラテースの死》である。)

【参考文献】

岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』岩波ジュニア新書、2003年。

つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

このサイトでは、学者の卵である私、勝又泰洋が、日々の勉強・研究について(もっぱら自身の備忘のために)簡単な文章をものしています。サイト名の「つねに多くのことを学びつつ年をとる」は、古代ギリシアの政治家ソローンによる詩の一節です。これを座右の銘として、毎日マイペースに学問に励んでいます。

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