ギリシア神話における「足を怪我した者」

今日の朝日カルチャーセンター中之島教室の講座では、ピロクテーテースの話をした。下に載せたジャン=ジェルマン・ドルーエの《レームノス島のピロクテーテース》(1788年、シャルトル美術館蔵)でもはっきり描かれているが、この人物の最大の特徴は「足を怪我している」ということである。トロイアーへの遠征の途次、毒蛇に噛まれてしまったのだ。以下はこれについての簡単なメモ。

 結論からいうと、「足の怪我」の(象徴的)意味が気になっている。というのも、ピロクテーテース以外にも、ギリシア神話のなかには、足になんらかの問題がある人物がいるからだ。たとえばすぐ思いつくのはアキッレウスである。彼は、母親テティスの不注意で、踵が唯一の弱点となってしまい、結局はパリスにここを射られ絶命する。

 「トロイアー神話圏」以外でも、足に問題のある人物が出てくる。代表的なのが、「テーバイ神話圏」のオイディプースだ。彼は、生後間もなく、両親(=ラーイオスとイオカステー)によって踵に穴を開けられたうえで、山に棄てられる。そして、よく知られたことだが、「オイディプース」という名前は、ギリシア語で「足が腫れた者」を意味する。

 以下は単なる(妄言的)仮説。太古の神話的想像力においては、足は「人間の象徴」で、ここに弱点や障害がある人物は、良い意味でも悪い意味でも「非・人間」とみなされる、という考え方があったのではないか。ピロクテーテースは、10年間陥落しなかったトロイアーを沈めるという「非・人間」的な力技を披露する。アキッレウスは、勇将ヘクトールをあっさり片づけるほどの「非・人間」的な膂力を備えており、かつ、この仇敵の遺体を父親(=プリアモス)に返還するというかたちで「非・人間」的な赦しをみせる。そしてオイディプースは、スピンクスの謎かけに正解するほどの「非・人間」的な知恵をもつと同時に、「父を殺し母と交わる」という「非・人間」的暴力を行使してしまう人物である。

 この見解の当否はさておき、僕は「足を怪我した(もしくは足に弱点・障害のある)者」というテーマに興味をもっている。ギリシア神話以外の神話にも、こういった登場人物はたくさん出てくるはず(?)なので、比較神話学的手法で、その根源的意味を解明できればと思っている。まずは具体例集めから始めたい。

つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

このサイトでは、学者の卵である私、勝又泰洋が、日々の勉強・研究について(もっぱら自身の備忘のために)簡単な文章をものしています。サイト名の「つねに多くのことを学びつつ年をとる」は、古代ギリシアの政治家ソローンによる詩の一節です。これを座右の銘として、毎日マイペースに学問に励んでいます。

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