今日の「現代神話学」の講義では、フランス社会学を代表する人物であるリュシアン・レヴィ=ブリュール(1857~1939)を取り上げ、彼が『原始神話学』(1935年)で展開する神話論の紹介をした。
『原始神話学』の内容を理解するためには、レヴィ=ブリュールの代名詞ともいえる、いわゆる「融即」(ゆうそく、participation)にかんする知識が不可欠なので、丁寧に説明をした。これは、簡単にいえば、「二つの状態の非矛盾的共存」のことを指し、たとえば『未開社会の思惟』(1910年)には、「それ自身であると同時にまたそれ自身以外のものでもあり得る」(日本語訳95頁)という説明がみえる。
「未開社会」の「前論理的心性」の核とされているこの「融即」について、(ある程度予想はしていたが)学生から数多くのコメントをもらった。そこで教えてもらったのは、どうやら、哲学と物理学(量子力学)の世界でも、「矛盾があるゆえ理解不能」と一般的にみなされる思考法(たとえば「丸い四角」)をめぐる議論が存在している、ということだ。そこでは、さすがに「融即」という言葉は使われていないだろうが、関心のありかは、レヴィ=ブリュールのそれと同じとみてよいように思う。
僕は、「二つの状態の非矛盾的共存」のことを学問的に探究しているのは、レヴィ=ブリュールだけだと(勝手に)思っていたので、彼の著作以外のところでも類似の議論があるということに、とても驚いた(情報提供をしてくれた学生たちには本当に感謝している)。ひょっとすると、「「融即」論の系譜」とでも呼べるものがあるのかもしれない。関連の議論を集めて、思想史的観点から整理してみたい気がする。
【参考文献】
レヴィ・ブリュル(著)、山田吉彦(訳)『未開社会の思惟(上)』岩波文庫、1953年。
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