ここのところ、ル=グウィンの『ラーウィーニア』論の準備作業として、ウェルギリウスの『アエネーイス』の女性表象について調べている。そんななか偶然にも、2019年のクーマエ・シンポジウム(毎年イタリアのクーマエで行われる、ウェルギリウス学会(Vergilian Society)が主催する研究集会)のテーマが、「ウェルギリウスと女性」(Virgil and the Feminine)であることを知った。
その案内文(リンク先を参照)によると、フェミニズム批評を適用したウェルギリウス研究の数は少なく、ホメーロスやオウィディウスの作品と異なり、伝統的にウェルギリウスの作品はフェミニズム思想のための沃野とはみなされてこなかったらしい。要するにこれが学会側のテーマ設定の動機となっているわけだが、この研究状況には驚いた。フェミニズム批評の重要性が説かれてもう何十年も経っているのに、関連のウェルギリウス論がまだあまり現れていないというのだから。
たとえば『アエネーイス』ひとつとっても、人間ではディードー、クレウーサ、アマータ、ユートゥルナ、ラーウィーニア、神ではユーノーおよびウェヌスといった女性キャラクターが登場し、彼女たちが物語上重要な役割をもっているのは明らかだ。関連の研究文献が少ないというのは以前からなんとなく感じていた(数年前、ユートゥルナについて調べていた知り合いが、「ユートゥルナの先行研究がなかなか見つからない」と言っていたのを思い出す)が、実際少なかったわけか。
この研究集会には足を運べないとは思うが、その動きには注目していたいと思う。まずはプログラムの完成を待ちたいが、希望的観測をいえば、ル=グウィンの『ラーウィーニア』にかんする発表もあるかもしれない。
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