サンドラ・ギルバートとスーザン・グーバーの『屋根裏の狂女』(Sandra M. Gilbert and Susan Gubar, The Madwoman in the Attic: The Woman Writer and the Nineteenth-Century Literary Imagination, New Haven, 1979)は、エレイン・ショウォールターのいう「ガイノクリティックス」(作者としての女性に焦点を当てる研究)の古典的名著だ。
その序論にあたる部分で、著者は、これまで男性作家が女性という存在をどのように表象してきたかを論じているが、この問いにたいする答えはきわめてシンプルだ。すなわち、あらゆる男性作品において、女性はかならず「天使」か「妖怪」のどちらかにされているという(邦訳p. 25)。
このテーゼを示したあと、著者はその具体例を数多く挙げていくが、そこに出てくるのは大半が近代の男性作家(ex. ゲーテ、サッカリー、スウィフト)である。面白いのは、じつはこのテーゼは、僕が専門としている西洋古典(ギリシア・ラテン)文学においてもかなりの程度当てはまる、ということだ。例は山ほどあるが、今回はウェルギリウス(いうまでもなく男性作家である)が『アエネーイス』で描く女性ラーウィーニアを取り上げたい。
この女性は、主に作品後半(第7歌~第12歌)で重要な役割を果たす、ラティウム(未来のローマが生まれる地)の王女である。最終的には、主人公アエネーアースが彼女を娶ることになる(ただしこれは作品中で明示されるわけではない)のだが、それは、もっとも有力な求婚者であった、土着の部族の王トゥルヌスを彼が退けてはじめて達成されたことであった。
『アエネーイス』の後半は、簡単にいえば、ラーウィーニアをめぐる、アエネーアースの軍とトゥルヌスの軍の戦争を描く。そのなかでラーウィーニアのことが何度か描写されるが、たとえば下の引用をみたときには、ギルバートとグーバーの主張を思い出さずにはいられない。
戦争の合図を血なまぐさく響かせて、嗄れたラッパの音がする。このとき、城壁にはさまざまな人が配置についた。婦人らも少年らも、すべての者があとのない苦役に駆り出される。そればかりか、パッラスの神殿へ、城塞の頂へと、大勢の母たちをともない、女王[=ラーウィーニアの母アマータ]が車に乗って参拝し、供物を捧げる。隣には乙女ラーウィーニアがつき従ったが、大災厄の原因となったゆえに、美しい目を伏せていた(iuxtaque comes Lauinia uirgo, / causa mali tanti, oculos deiecta decoros)。
(第11歌474~480行、岡・高橋訳を一部改変)
男性のウェルギリウスが提示するラーウィーニアは、「大災厄の原因causa mali tanti」の烙印を押された「妖怪」であり、同時にまた、「美しい目を伏せoculos deiecta decoros」るという振舞いを見せる「天使」である。
この女性については、これまであまり研究がなされてこなかったが、ギルバート&グーバー流の「二極化表象」という観点を用いれば、なにか興味深い議論ができそうな気がしている。
【参考文献】
サンドラ・ギルバート、スーザン・グーバー(著)、山田晴子・薗田美和子(訳)『屋根裏の狂女―ブロンテと共に』朝日出版社、1986年。
岡道男・高橋宏幸(訳)『ウェルギリウス アエネーイス』京都大学学術出版会、2001年。
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