去る2019年1月13日、大阪は梅田で開催された、神戸神話・神話学研究会の2018年度の研究会に参加してきた(詳細は下記リンクを参照)。二本の研究発表をもとに、参加者のあいだでさまざまな議論がなされたが、そのときに一つ、とくに僕の印象に残った論点が出てきたので、忘れないうちにメモしておきたい。
その論点とは、神話は「更新」される、というものである。これを聞いたとき、わが意を得たり、と思った。というのも、もともと僕も、ギリシア・ローマ神話の研究を進めるなかで、古代ギリシア・ローマ人の行っていることは、神話の「更新」とみなせるのではないかと思っていたからだ(「更新」なる表現は、片渕悦久氏の「物語更新論」からヒントを得て、以来、活用させてもらっている)。
少し説明を加えたい。ギリシア・ローマ神話の展開の仕方について考えると、これが「大きな枠組は維持されたまま、細部のみ変えられていく」という特徴をもつことに誰しもが気づく。メーデイアの物語がわかりやすい例だ。この人物については、紀元前5世紀にエウリーピデースが『メーデイア』でスポットライトを当て、そのあと、紀元の前後にオウィディウス(『名婦の書簡』第12歌)やセネカ(『メーデーア』)が取り上げたわけだが、じつは、「メーデイアが夫イアーソーンに裏切られ、それにたいし強烈な反応をする」という話の大枠は3作品に共通していて、違うのは、メーデイアの心理と行動にかかわる細部だけである。これなどはまさに、神話が「更新」されている、と表現すべきだろう。
面白いのは、ギリシア・ローマ神話は、古典古代が終わったあとも「更新」され続けている、ということだ。ふたたびメーデイア神話の話をすると、たとえばかの三島由紀夫は『獅子』という短編小説でこれを戦後日本のある夫婦の物語に変容させているものの、上で述べた話の大枠はまったく変えられておらず、違うのはやはり細部(ex.子供の殺され方)のみである。
「更新」の概念は、現代のアダプテーション論や二次創作理論ともつながりうるもので、今後、神話などを含めた広い意味での「物語」を学問的にとらえようとするとき、まちがいなくキーとなるはずだ。
【参考文献】
片渕悦久『物語更新論入門(改訂版)』学術研究出版、2017年。
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