レヴィ=ストロースについて以前から疑問に思っていることがひとつある。今日はそれについて簡単にメモしておく。
彼は、四部作の「神話論理」シリーズにおいて、南北アメリカの諸部族のあいだで伝わる神話を数多く(基本は813個だが、変形ヴァージョンも含めると1400個以上)集め、その内的連関性を綿密に調べることで、これらの神話が秩序ある「構造」のもとにつくられていることを証明した。いま注目したいのは、この分析結果をふまえて、レヴィ=ストロースが四部作の末尾の「終曲(フィナーレ)」で提示する、「われわれは神話のおかげで、人間精神の特定の活動様式を抽出できるようになる」(『裸の人』日本語訳p. 802)という見解だ。ここからうかがえるのは、レヴィ=ストロースが興味をもっていたのは、南北アメリカの神話群それ自体というよりも、この神話群の「構造」から導き出すことのできる、人間精神の普遍的な働き方である、ということだ。
「人間精神の普遍的な働き方」という表現を使うにあたって僕が念頭においているのは、ユングのいわゆる「集合的無意識」である。もちろん細かな違いは存在するが、レヴィ=ストロースがユング同様、「人類全体に共通する思考パターン」に関心をもっていたのは明らかだ。
ここでようやく「疑問」の話なのだが、レヴィ=ストロースは、自らの理論を構築するにあたり、どの程度ユングの学説を参考にしたのだろうか。時間軸的には、レヴィ=ストロースよりユングのほうが前なので、前者が後者のことをまったく知らなかった、というのは考えにくい。だが、あくまで僕の読書範囲では、レヴィ=ストロースがユングについて云々しているのは見たことがない。レヴィ=ストロースは、自分とこの心理学者の営みは異なるものと考えていたために、徹底的に無視をしたのだろうか。たとえば松村一男は、ユング的深層心理学モデルとレヴィ=ストロース的構造言語学モデルは、ともに「無意識」を鍵とする点では共通しているものの、両者の基本的性格は異なることを指摘しており(『神話学入門』p. 138)、これには一定の説得力がある。だが、たとえそうだとしても、レヴィ=ストロースがユングに触れないのは不思議である。違うのであれば、自分とユングがどう違うのか、彼が論じていてもよい気がする。
20世紀の思想史における「無意識」の概念の重要性を考えると、この二人の関係性は注目に値するものだと思う。今回の「疑問」については、単に僕の勉強不足ということも大いにありえるので、レヴィ=ストロースの著作を読むときは、これからも注意をしておきたい。
【参考文献】
松村一男『神話学入門』講談社、2019年。
クロード・レヴィ=ストロース(著)、吉田禎吾ほか(訳)『神話論理IV-2 裸の人2』みすず書房、2010年。
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