『アエネーイス』研究の大家R. O. A. M. Lyneによる、'Lavinia's Blush: Vergil, Aeneid 12.64-70'という論文(詳細は下の【参考文献】欄を参照)を読んだ。議論の対象となるのは、(論文のタイトルにもあるとおり)『アエネーイス』第12歌64~70行だ。ここで描かれるのは、戦いに逸るトゥルヌスのことを心配するアマータを目にした、ラーウィーニアの反応である。ラテン語原文を以下に示そう。
accepit uocem lacrimis Lauinia matris
flagrantis perfusa genas, cui plurimus ignem
subiecit rubor et calefacta per ora cucurrit.
Indum sanguineo ueluti uiolauerit ostro
si quis ebur, aut mixta rubent ubi lilia multa
alba rosa, talis uirgo dabat ore colores.
illum turbat amor ...
この場面にかんして長らく問題とされてきたのは、ラーウィーニアの「赤面」(plurimus ignem / subiecit rubor et calefacta per ora cucurrit)の理由だ。この問いにたいする解答としてLyneが提示する本論文の基本テーゼは、「ラーウィーニアはトゥルヌスに恋をしている(から「赤面」する)」というものだ。
今回注目したいのは、このテーゼの当否ではなく、これを補強するものとしてLyneが挙げる根拠のひとつである。彼は、flagrantis、ignem、calefactaという語から喚起される「炎」のイメージ、および象牙の比喩(67~68行)のsanguineo、uiolaueritという語から連想される「傷」のイメージに注目し、「炎と傷」は、ディードーの恋を思い起こさせ(第4歌1~2行:at regina graui iamdudum saucia cura / uulnus alit uenis et caeco carpitur igni)、それゆえこの場面のラーウィーニアも恋をしている、という議論を展開する(p. 59)。
面白いと思うのは、使用語彙(およびそこから生まれるイメージ)の並置によってラーウィーニアがディードーと結びつけられていることだ。『アエネーイス』には多くの女性キャラクターが登場するが、ラーウィーニアとディードーという組み合わせは、主人公アエネーアースを取り合う「恋のライバル」である(ただし、作品中には二人の直接的な争いは描かれない)という点で、関係性がとても深い。Lyneの述べるごとく、ラーウィーニアの「赤面」のシーンをみたときに、恋するディードーを思い起こした者が古代にいたかもしれない。
ちなみに、現代に目を移すと、ラーウィーニアとディードーをじっさいに接触させている人物が一人いる。それは、アーシュラ・K・ル=グウィンである。彼女は、小説『ラーウィーニア』のなかで、ウェルギリウス本人からディードーの情報を得るラーウィーニア(!)の様子を描いているのだ。たとえばラーウィーニアは自殺したディードーについて次のような心情を吐露する。
I could not like this African queen but I could not possibly despise her. Yet suicide seemed a coward's answer to betrayal. (p. 56)
これはいったいどのように解釈すればよいのだろうか。
【参考文献】
Ursula K. Le Guin, Lavinia (Boston, 2008).
R. O. A. M. Lyne, 'Lavinia's Blush: Vergil, Aeneid 12.64-70', G&R 30 (1980), 55-64.
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