明日、神戸新聞文化センター三宮で行うコッレッジョにかんする講演のために、2ヶ月ほど前から少しずつ準備を進めてきたが、なかなか楽しい日々だった。僕は美術史の専門家ではなく、あくまで絵画の愛好家にすぎないので、「準備」というのは、美術史のプロが書いた「絵画の鑑賞法」にかんする本を読むことを意味する。そのような本のなかで、とくに得るところが多かったのが、Paul Barolsky, Ovid and the Metamorphoses of Modern Art from Botticelli to Picasso, Yale UP, 2014(詳細は下のリンク先を参照)だ。
この本では、オウィディウスの『変身物語』にもとづいて作成されたと考えられる絵画がおよそ120点取り上げられ(紹介の順序は、対応する『変身物語』内の物語の順序におおよそしたがっている)、その鑑賞のポイントについて次々と簡明な解説がほどこされていく。今回はとくにコッレッジョの絵画を扱った箇所を読んでみたわけだが、以下では、ボルゲーゼ美術館にある彼の《ダナエー》(下にある絵がそれだ)にかんして、勉強になったことを2つほど記しておきたい。
一つ目。この絵は、「乙女[=ダナエー]の快楽をともなう服従」(p. 174)をあらわしている、ということだ。オウィディウスの描写(ただしそれは分量的にかなり少ない)では、ユッピテルの身勝手な欲望だけが強調されているようにみえるが、コッレッジョは、あえてダナエーを主人公に据え、彼女の態度を彼独自の仕方で描いてみせているのだ。Barolskyは、ダナエーの右足の開き具合、だらしなく下がった左手、かすかな微笑みといった要素に注目し、これらは、ダナエーがユッピテルをすすんで受け入れることを示すサインである、と述べる。ただし、このダナエーは、「鑑賞者-窃視者viewer-voyeur」(p. 174)としての男性の幻想にすぎない、という点も忘れてはならないようだ。
二つ目は、右下にいる二柱のクピードーにかんすること。彼らはどうやら遊んでいる(商売道具の矢を研いでいる?)ようだが、Barolskyによれば、これは、「しばしば遊戯性playfulnessは、官能性sensuousnessにともなう」(p. 174)ゆえらしい。たしかに、男女の交わりというのは、日常性の外にある一種の「遊び」と考えられるので、この説明には納得がいった。
僕は、とくにカルチャーセンターの仕事で、頻繁に『変身物語』関連の絵画作品を取り上げるので、これからもこのBarolskyの本には大いにお世話になることだろう。
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