ウェルギリウス『アエネーイス』の女性キャラクターにかんするリサーチを続けているが、今日は、Ellen Oliensisという研究者による'Sons and Lovers: Sexuality and Gender in Virgil’s Poetry'という論文(詳細は下の【参考文献】欄を参照)を読んだ。ウェルギリウスの3つの作品(『牧歌』『農耕詩』『アエネーイス』)において、セクシュアリティおよびジェンダーといったものがいかに複雑なかたちで表象されているかを論じたものだ。『アエネーイス』を取り上げる部分(pp. 303-310)をとくに熱心に読んだのだが、以下では、面白いと思ったことを3つほど(すべて女性キャラクターの分析にかかわるもの)メモしておきたい。
一つ目は、ディードーがさまざまな神話キャラクターを混ぜ合わせた存在であるということ。Oliensisは、彼女がアスカニウス―恋の相手アエネーアースの「息子」である―と親密になる点(第1歌)に着目し、これはパイドラーの行動を想起させると述べる。この女性も、「(義理の)息子」のヒッポリュトスに接近し、ディードー同様、最終的には自殺をする(エウリーピデース『ヒッポリュトス』)。これに関連してもうひとつOliensisが注目するのは、アエネーアースの裏切りが明らかになったあとのディードーの台詞(第4歌600~602行)だ。ここでディードーは、アスカニウスの肉片を父親(=アエネーアース)に食わせる、という想像をするのだが、これは、Oliensisによれば、プロクネー―姉妹のピロメーラーの復讐をするために夫のテーレウスに自分の息子の肉を食べさせる女性(オウィディウス『変身物語』第6歌)―の行動と重なる、ということだ。また、愛する「息子」を殺すという点では、もちろん(これもOliensisのいうように)メーデイアも思い出さずにはいられない(エウリーピデース『メーデイア』)。
二つ目は、女神ウェヌスはアエネーアースの「潜在的恋人a potential erotic partner」(p. 306)と考えられ、ここには近親相姦―ウェヌスはアエネーアースの母親である―が見出せるということ。Oliensisによれば、ディアーナ的狩人の出で立ちでアエネーアースの前に姿を現すウェヌス(第1歌)は、「ディードーの予告的存在の一種a kind of preview of Dido」(p. 306)なのだという。なぜなら、有名な「洞穴の結婚」の場面(第4歌)で、ディードーもまた、ディアーナのごとき狩人の恰好をし、アエネーアースと結ばれるからだ。ウェヌスは「愛」の女神であるが、自らの息子とも関係をもつという見方はとても興味深い。ちなみに、かのフロイトも『アエネーイス』を読んだようだが、彼もこの二人に「エディプス・コンプレックス」の関係を認めたのだろうか。
三つ目は、ラーウィーニアが物語の表舞台に出てこない理由にかかわること。Oliensisは、作品前半においてもっとも目立つ女性であるディードーは、後半に入って、アマータとラーウィーニアの二人の女性へと「分裂しているsplits」(p. 307)と考え、そのうえで、ディードーの熱情はすべてアマータに吸収された結果、ラーウィーニアは「熱をほぼ完全に失った空白an almost perfectly cold blank」(p. 307)の女性となっていると主張する。また、ラーウィーニアとアエネーアースの異性愛関係は『アエネーイス』全体の思想と相容れないために、ラーウィーニアは目立たないよう処理されている、という議論があるのも見逃せない。Oliensisによれば、本作における異性愛の女性というのは、あるべき社会秩序―未来に建国されるローマ―に敵対する存在なのだという。アエネーアースに恋をするディードー、トゥルヌスに恋着するアマータはそのわかりやすい例だ。『アエネーイス』において、異性愛は危険なものとされているわけだ。僕はこれを受けて結末場面のことを思い出した。アエネーアースがトゥルヌスを殺すことにするのも、「ラーウィーニアを妻としたい」という異性愛的感情ゆえではなく、「パッラースの敵討ちをしたい」という同性愛的感情ゆえである。ウェルギリウスは、「ローマ建国」を象徴するこの場面を描くに際し、あえて同性愛関係を前景化させることで、異性愛の女性であるラーウィーニアを不可視化させているのだ。
Oliensisは、このほかにも多数興味深い見解を提出している。「説得された」というより、「頭が刺激された」という印象の論文だった。
【参考文献】
Ellen Oliensis, 'Sons and Lovers: Sexuality and Gender in Virgil’s Poetry' in Charles Martindale ed., The Cambridge Companion to Virgil (Cambridge, 1990), 294-311.
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