ケンブリッジ大学出版局から出ているシリーズ'Roman Literature and Its Contexts'は、僕の大のお気に入りだが、今日はこのシリーズに入っている一冊、A. M. KeithによるEngendering Rome: Women in Latin Epic(詳細は下のリンクを参照)のひとつの章を読んだ。以下はその簡単な備忘録。
読んだのは第四章の「戦いの始まり―戦争をジェンダー化するExordia pugnae: Engendering War」(pp. 65-100)だが、ここでKeithは、ウェルギリウス『アエネーイス』における戦争関連の出来事がいかなる仕方でジェンダー化されているかを詳細に論じたうえで、その他のラテン叙事詩(オウィディウス『変身物語』、ルーカーヌス『内乱』、シーリウス・イタリクス『プーニカ』、ウァレリウス・フラックス『アルゴナウティカ』、スターティウス『テーバイス』)において、『アエネーイス』のジェンダー操作がどのように変化させられているのかを検討していく。僕がとくに力を入れて読んだのは『アエネーイス』を論じた部分なので、話の内容はそこに絞りたい。
Keithの議論を一言でまとめると、『アエネーイス』において「戦いの始まりexordia pugnae」と結びつけられるのは基本的に女性である、ということだ。これは、先行するギリシア叙事詩のホメーロス『イーリアス』やアポッローニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』で、女性キャラクターが戦争の領分から閉め出されている点(前者では、アンドロマケーが夫ヘクトールによって家の中にいるよう指示され(第6歌)、後者では、アタランテーがイアーソーンから冒険への参加の許可を得られない(第1歌))を考えると、かなり特殊であることわかる。ウェルギリウスも「武器と男を私は歌うArma uirumque cano」という言葉で作品を始めており、「戦争=男の領分」という図式を踏襲しているようにみえるが、Keithにいわせれば、これは必ずしも物語内容を正確に反映していないとのことだ。
Keithは、『アエネーイス』において「戦いの始まり」に関係する女性キャラクターを挙げていくわけだが、もっともわかりやすいのはユーノーだ。この女神こそが、イタリアでの戦争を引き起こす(第7歌)からだ。また、ディードーもこのグループに入れられる。というのも、自分を裏切ったアエネーアースへの彼女の呪いの言葉(第4歌)が、ポエニ戦争につながることになるからだ。また、もう少し細かいところでは、ユートゥルナも同じ部類の女性キャラクターとして名前が挙げられる。ユーノーに唆された彼女は、トロイアー軍とイタリア軍のあいだで結ばれた協定を無効にし、ふたたび両軍を血なまぐさい戦へと駆り立てる(第12歌)。
『アエネーイス』においては女性が「戦争」と結びつけられているというのは納得がいったが、僕は、これをふまえてKeithが、反対に男性のほうは(暗示的に)「平和」と結びつけられていると主張しているのが、かなり面白いと思った。たとえばKeithは、女性(女神)のアッレクトーが、男性のトゥルヌスのもとに赴き、戦いへと促す点(第7歌)に注目する。トゥルヌスは、自発的に出陣するのではなく、この女神によって戦うことを強制されるのだ。また、ラティーヌスおよびアエネーアースという男性ペアも、もともとは、平和的に事を運ぶ―ラーウィーニアとアエネーアースの結婚を滞りなく成立させる―予定であった(第7歌)が、この計画は、女神ユーノーによって破壊されてしまう。加えてもうひとつKeithが注目するのが、男神ユッピテルによる「「戦争の門」は閉ざされるだろう」(第1歌294行)という言葉で、これは、ユッピテルも「平和」を象徴する存在であることを暗示する。ウェルギリウスは、アウグストゥスによって「戦争の門」が閉じられたことを念頭に置いているはずなので、アエネーアースのモデルであるこの初代ローマ皇帝―もちろん男性である―も、やはり「平和」を体現していることになる。このローマの叙事詩においては、上述のギリシア的図式とは異なる、「平和=男の領分」という図式がみられるのだ。
僕はここのところしばらく『アエネーイス』における女性の表象についてリサーチを続けているが、Keithの議論は勉強になることが多かった。
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