マッフェオ・ヴェジオとオウィディウス

ルネサンス期のネオラテン文学のひとつ、マッフェオ・ヴェジオの『補遺(アエネーイスの第13歌)』(詳細は2019.3.7の記事を参照されたい)は、ウェルギリウス『アエネーイス』の「補完」を試みる一風変わった作品である。言及される出来事やラテン語表現の大半は、(当然ながら)『アエネーイス』にもとづいていると言われるが、じつはある重大なひとつの箇所では、これが当てはまらず、研究者の注目を集めている。

 その箇所とは、作品の末尾である。ここでは、ユッピテルの後ろ盾を得たウェヌスが、息子のアエネーアースを神にする様子が描かれる。

そこでウェヌスは小躍りして喜び、オリュンポスの中央にいるユッピテルの前へ進み、脚に抱きつきながら次のように話した。「…さらに父上は星の瞬く天の頂上にアエネーアースが偉大な存在として送り込まれること、そして彼の価値が星々のなかへ入っていくことを約束したのです。いま胸のうちで何をお考えなのですか。すでに完全となったアエネーアースの徳性は[天の]両極を求めています」人間と神々の父[=ユッピテル]は彼女に口づけをし、胸の奥底から言葉を発する。「…プリュギアの指揮官[=アエネーアース]は高き天へと入っていくべし、という私の宣言は動かぬものである。彼を神々の一員とすることは決まっている。これを私は喜んで認める。…」天上の神々は皆これに同意した。王妃のユーノーも拒絶せず、アエネーアースが偉大な存在として天上に運ばれるよう訴えるかたちで、友好の言葉を付け加えた。そこでウェヌスは空の風のあいだをなめらかに降りていき、ラウレントゥムを目指す。その場所へ、葦に覆われたヌミーキウス[河の神]は、河の流れに乗って駆けていく。ウェヌスはこの神に、息子の体から人間的部分を洗い落とし、流れのなかへ捨て去るよう命じる。そうして彼女は喜々として、新たな姿と幸福を得た魂を天上へと運んでいき、アエネーアースを星々のあいだに送り込んだ。これをユーリウス家の子孫はインディゲスと呼び、誉れある存在として神殿に祀っている。

(マッフェオ・ヴェジオ『補遺』593~630行、拙訳)

この出来事については、ヴェジオは『アエネーイス』を範としているわけではない。それでは、これはヴェジオの独創によるものなのかといえば、それも違う。この描写の原形は、じつは、ヴェジオよりもはるかに前に『アエネーイス』の「補完」を試みたオウィディウスの『変身物語』に見出せるのだ。

ウェヌス女神は…父神ユッピテルの頸に腕をまわして、こういった。「…お父さま、もし幾らかでも思召があれば、どんなささやかなものでもかまいません、あの子[=アエネーアース]に神性を授けてやってください!…」諸神はこれに同意した。王妃ユーノーも、つれない顔は見せずに、顔をほころばせてうなずいた。そこで、父なる神はこういう。「…娘よ、おまえの願いはかなえられたと知るがよい」…ウェヌス女神は喜んで、父親に感謝をささげると、鳩たちに引かせた車に乗って虚空をよぎり、ラウレントゥムの岸にやって来た。葦におおわれたヌミーキウスの流れが、蛇行しながら、近くの海に水をそそいでいるあたりだ。ウェヌス女神は、この河に命じて、アエネーアースのなかの死滅すべき部分を洗い流し、静かな水路によって海へ運びこむようにさせた。…母なる女神は、浄められた息子のからだに聖なる香油を塗り、甘い「神酒(ネクタル)」と混ぜた「神饌(アンブロシア)」でその口を拭った。こうして、アエネーアースは神となった。ローマの民は彼をインディゲスと呼び、神殿と祭壇を建てて彼を祀った。

(オウィディウス『変身物語』第14巻585~608行、中村善也訳(一部改変あり))

貸借関係は一目瞭然だろう(日本語訳だとどうしても細かいズレが出てきてしまうが、ラテン語原文を並置すれば、両者の類似はさらに明瞭にみてとれる)。

 おそらく当時の『補遺』の読者も、ヴェジオがオウィディウスの模倣をしていることに気づいていただろう。この類の「知的ゲーム」―「源泉探究Quellenforschung」といいかえてもよい―が、ネオラテン文学の面白さのひとつなのである。

【参考文献】

Emma Buckley, 'Ending the Aeneid?: Closure and Continuation in Maffeo Vegio's Supplementum', Vergilius 52 (2006), 108-137.

Michael C. J. Putnam (with James Hankins) ed. and trans., Maffeo Vegio: Short Epics, Harvard UP, 2004.

中村善也(訳)『オウィディウス 変身物語(下)』岩波書店、1984年。


つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

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