『西洋古典学研究』第67号

日本西洋古典学会が毎年3月に発行する雑誌『西洋古典学研究』の最新号(第67号)を入手した(学会員の方々の分は、今日、事務局から発送したので、該当する方はお手元に届けられるまでいましばらくお待ちください)。内容が充実しているのはいつもどおりだが、あえて今号の「読みどころ」を挙げるとすれば、それは、昨年の大会のシンポジウム「古代ギリシア・ローマ世界におけるgender equality―理念と現実」に関係する部分(63~106頁)になるだろう。

 構成の話を少しだけしておく。核になっているのは、シンポジウム登壇者6名による6つの論考(プラトーン『国家』第5巻を扱う3本と、それ以外のさまざまなテクストを扱う3本)である。哲学2本・歴史学2本・文学2本と、6本の論文は内容的にきれいなバランスがとれている。そしてこれらの論文の前には、西村賀子氏(シンポジウム登壇者の一人)による簡単な「総括」と、桜井万里子氏(シンポジウム司会)による、「古代ギリシア・ジェンダー史の可能性」と題された、イントロダクション風の論考が置かれている。メインの6本の論文はぜひ各自読んでいただくとして(僕にとっては、たいへん勉強になるものばかりだ)、以下では、桜井氏の「可能性」論考のなかで、僕がとくに重要だと感じた箇所をメモ風に記しておくだけにする。

 桜井氏は、シンポジウムの話に入る前に、まずはジェンダーを論じることの重要性を強調する。

環境問題、経済格差の拡大、最近の政治指導者の一部にみられる独裁的傾向など、現代世界が抱える諸問題を分析し、解決の方向を提示するために、ジェンダー視点の導入は必須であろう。…ジェンダー視点に立つとき、人類が可能な限り格差を小さくして、地球上の全域で共存できる世界の到来に向けて、人々は何をすべきなのだろうか。先ず何より居住する地域や民族、人種の別に限ることなく、相互の人権を尊重することが不可欠の課題だろう。その課題を自覚して、人類の歴史をジェンダーの視点から分析するならば、これまで隠れていた支配従属の関係と構造が明らかになるに違いない。それは、新たな世界建設のための羅針盤を提供してくれるはずである。(65頁)

このような議論は、いまではどのようなところにもみられるもので、「何をいまさら」と感じる者も多いだろう。しかし、桜井氏は、『西洋古典学研究』という権威ある学術誌に、このようなことをあえて書かなければならなかったのだ。というのも、桜井氏が論考の冒頭で述べるごとく、日本西洋古典学会は、「ギリシア語とラテン語という古代語を軸として結成されたからか、伝統墨守の傾向がみられる」(64頁)学会で、「ジェンダー」というテーマが取り上げられること自体がきわめて異例であるからだ(このあたり、ひどく遅れているといわざるをえない)。

 以上のような一般的議論のあと、桜井氏は話を今回のシンポジウムのことに移すのだが、とくに注目すべきなのは、プラトーン『国家』第5巻の「男女等質思想」―これはシンポジウムの第1部のテーマだった―に触れている部分だ。ここで桜井氏は、ヨーロッパの政治思想史に目を向け、そこにひとつの重大な疑問点を見出す。

…近現代の民主主義について論じる際には、必ずと言ってよいほど、その源流として古代ギリシアのデーモクラティアが引き合いに出されてきた。ところが、フェミニズム思想が台頭して、注目を集めるようになって以降も、その源流としてプラト[ー]ンの「男女等質思想」に注目が集まることはなかった。…肝心なのは、デーモクラティアには関心が向けられてきたのに、なぜプラト[ー]ンの提示した「男女等質思想」は等閑に付されてきたのか、という問題である。それは、プラト[ー]ン受容史の再検討を促すことになるだろう。(66頁)

プラトーンの「男女等質思想」とは、「男女ともにフュシス[=自然本性]において差異なしという思想」(65頁)で、これは、父権制イデオロギーが社会の隅々にまで浸透していた古代ギリシア世界においては、あまりにも斬新な考え方である。シンポジウム登壇者の論文においても注意喚起されているように、この思想を安易に現代風の「男女平等」とむすびつけるのは危険だが、それでも、古代ギリシアの大哲学者が、主著のなかでこのような見解を提出していることは、やはり見過ごすべきではないだろう。しかしそれにもかかわらず、従来の政治思想史の文脈では、この「男女等質思想」は無視されてきたのだ。この意味で、今回のシンポジウムで設定されたテーマは、このうえなく重要なものであるといえるのだ。

 昨年のシンポジウムの議論を聴いていたときにも僕はさまざまなことを考えたが、今回、活字化された論考を読み進めるなかで、ふたたび、重要な論点について多くのことを学ばせてもらっている。『西洋古典学研究』第67号を手にとった方は、ぜひ該当の部分を熱心に読んでいただきたい。

つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

このサイトでは、学者の卵である私、勝又泰洋が、日々の勉強・研究について(もっぱら自身の備忘のために)簡単な文章をものしています。サイト名の「つねに多くのことを学びつつ年をとる」は、古代ギリシアの政治家ソローンによる詩の一節です。これを座右の銘として、毎日マイペースに学問に励んでいます。

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