西洋古典学の長い伝統をもつ欧米世界では、ある作家の基本情報を得るための、「コンパニオンcompanion」(こなれた日本語にするならば「~入門」「~の手引き」「~事始め」となるだろう)という書籍カテゴリーが存在する。そういった本を開くと、当該作家を研究するためには必ず押さえておくべきいくつかのテーマが見出しとして掲げられており、その各々の論考は、専門家によって分担執筆がなされている。たとえば、Mark Beck ed., A Companion to Plutarch (Malden, 2014)という本があるが、目次をみると、'Plutarch and Rome'、'Plutarch and the Second Sophistic'、'Plutarch and Platonism'などと題された諸論考が並んでおり(その数は全部で42ある)、それらを執筆するのはそのテーマに詳しい複数の専門家だ。とりあえずこれ一冊を読めば、プルータルコスという作家の全体像がわかる仕組みになっているわけだ。
日本ではこの類のコンパニオンが作られることはまずない―欧米に比べ研究の歴史も浅く、専門家の数も少ないので当然だろう―わけだが、先頃、記念すべき例外的書物が出版された。『ホメロス『イリアス』への招待』がそれだ(詳細については下のリンクを参照)。帯には「その[=『イーリアス』の]魅力を余すところなく紹介する最高水準の入門書」と記されており、これはまさに、「『イーリアス』の日本版コンパニオン」と呼ばれるべき一冊なのだ。
18の論考および充実した付録類(+「まえがき」「おわりに」「後記」)から成る、およそ600頁弱(!)のこの本を、いま僕は興奮とともに読み進めているところだが、感想やコメントを短くまとめることは、とてもではないができない。ということで、あくまで「内容紹介」のつもりで、現時点でとくに印象に残った記述をひとつだけ引用しておくにとどめたい。それは、山形直子氏による「ホメロスの英雄像―アキレウスとヘクトル、サルペドン、パトロクロス」(第六章、163~189頁)からのものである。冒頭で「主人公アキッレウスの魅力はどこにあるのか?」という、『イーリアス』を理解するための鍵となる根源的な問いが提示され、それにたいし山形氏は次のように答えているのだ。
…アキレウスはどうであろうか。弁舌や策略にかけては、本人も認めるように他にもっと優れた者があろうが…、武勇では他に優っていることは言うまでもない…。しかも女神を母に持つために並の人間にはない視点を備えている。中でも、他の英雄たち、例えばパトロクロスやヘクトルには見えていなかった自分の死の運命というものを、母の予言を通じて知っているという違いがある。トロイア戦争に参加したのは、短い人生であることを知って、誉れを挙げ名を残そうというのが究極の目的であった。また、パトロクロスの仇討ちのためにヘクトルを倒すと自らの死に繋がるということを十二分に承知した上で、アキレウスはヘクトルに立ち向かっていく。…それだから、人間の運命を誰よりも意識している。そして、自分の名誉が傷付けられるとなるとその反応も人一倍増幅される。また、ゼウスをはじめ、いつも神々が味方に付いているから、戦場での働きも群を抜いている。一方、愛情も豊かで、友を悼む悲しみも、老いた父を思う気持ちも半端ではない。…アキレウスはおりこうさんの優等生ではないかも知れないが、良くも悪しくも他の追随を許さない、「超英雄」と言えるかも知れない。(188~189頁)
この記述を目にした者は、アキッレウスの特異性を瞬く間に理解することができるであろうし、あるいはこの説明の妥当性を確認するために、『イーリアス』それ自体(原典であれ翻訳であれ)を手にとり、アキッレウスの人物描写に注意を向けながら物語を追いかけていくことになるだろう。いずれにせよ、山形氏の議論は、「コンパニオン中の一章」としての役割を見事に果たしているわけである。
本書は、『イーリアス』にかんして学問的に信頼のおける情報を得たいと思う人のための、最初の一冊になるはずだ。「『イーリアス』のことを詳しく知りたいが何から読めばいいのかわからない」と考えている大学生(もしくは同じことを考える一般読者)はこの本から数多くのことを学べるであろうし、あるいはすでにある程度『イーリアス』のことを知っている専門家が読んだとしても、多くの発見や気づきを得られるはずである。最後になるが、本国の『イーリアス』研究を大きく前進させるための土台を作り上げた執筆者の方々に、心からの敬意を表したいと思う。
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