「赦し」の宗教としてのキリスト教

今日は、「西洋哲学」の講義の初回だった。岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、2003年)を教科書として、「ソークラテース以前の哲学」からロールズの正義論にいたる、ヨーロッパ思想の大きな流れを紹介する、という趣旨の授業だ。

 今回は、イントロダクションとして、岩田書の「はじめに」(iii~v頁)で解説がなされている、「ヨーロッパ思想の二つの礎石」にかんする話をした。岩田によれば、ヨーロッパ思想は、(A)「ギリシアの思想」と(B)「ヘブライの信仰(=ユダヤ教・キリスト教)」の「二つの礎石」のうえに成り立っており、それぞれを特徴づけるものとして、前者には、(A1)人間の自由と平等の自覚、(A2)理性主義、の二つがあり、後者には、(B1)天地万物の創造主としての神、(B2)神による「自己の似姿」としての人間の創造、(B3)イエスが説きつづけた神のかぎりない優しさ、の三つがあるという。

 学生にはコメントペーパーを書いてもらったのだが、とくにたくさんの反応があったのは、(B3)にかんしてだ。岩田は、イエスを「罪、加害、暴力に対して、復讐ではなく、徹底的な「赦し」で対せ」と教えつづけた人物として紹介しており(v頁)、この「キリスト教の核」(同頁)に驚いた者が多かったようだ。僕は、関連して考えるべき問題として、キリスト教と戦争にかんする話―「赦し」の宗教が戦争にかかわる、という「矛盾」をめぐる話―もしたが、これについても興味深く感じた学生は多かったようだ。キリスト教については、のちの回で基本から丁寧に説明する予定なので、そのときまでに、この(B3)のことは少し深く勉強をしておくつもりだ。

つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

このサイトでは、学者の卵である私、勝又泰洋が、日々の勉強・研究について(もっぱら自身の備忘のために)簡単な文章をものしています。サイト名の「つねに多くのことを学びつつ年をとる」は、古代ギリシアの政治家ソローンによる詩の一節です。これを座右の銘として、毎日マイペースに学問に励んでいます。

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