ここのところ、大戦期における日本のプルータルコス『対比列伝』の受容について調査を進めているが、当時、主に外交の分野で活躍した政治家、鶴見祐輔(つるみ・ゆうすけ、1885(明治18)~1973(昭和48))の『プルターク英雄伝』はとりわけ重要な資料だ。これは、ジョン・ドライデンの英訳をもとにした、鶴見による『対比列伝』の日本語訳で、初版は1934年に出た。のちに複数の出版社から改版も出されていて、日本において『対比列伝』の認知度を上げるのに大きな役割を果たしたと考えられるものだ。今もっとも手に入れやすいのは、全8冊の潮文庫版(1971~1972年)からの抜粋でできた、「潮文学ライブラリー」版である(以下、頁数を記すときは、この版のそれにしたがう)。
僕がとくに興味をもっているのは、本編の前に鶴見が付している「プルターク伝」の内容だ。ここでは、プルータルコスの生涯が紹介されるとともに、プルータルコスが「日本人にたいして、いかなる意義を有するかということ」(21頁)についても簡単な議論がなされていて、鶴見は次のように述べている。
ことに古代ギリシア人と古代ローマ人とは、はなはだ日本民族と似た特質をもっていた。彼は享楽の民ではなかった。少なくともそれを道徳の基本とした。ギリシア人は自分の魂を練るということに大いに力を注いだ。物に動じない、剛毅不屈の精神を磨いた。その点が日本の中世期と上古との修養に似ていた。
ローマ人は尚武の精神がさかんで、刻苦精励して強き国家を作った。彼らははなはだしく名誉という思想が熾烈であった。
これらの二大民族は、ともに死にたいする修養ができていた。彼らのなかの英雄児は、死に臨んでわるびれなかった。であるから戦いに臨んで勇敢であった。
これらの点は日本人と彼らとに共通する点であった。
であるから、われわれはプルターク英雄伝を読んでいるときに、時として自国の英雄児の物語を眺めているかのごとき親しさを感じるのである。そしてわれわれは、自国の巨人や義人にたいすると同じような感激を覚えるのである。
(22~23頁、下線筆者)
おそらくこの一節は、『対比列伝』を(大戦期の)日本に紹介するにあたっての、鶴見なりの弁明として読むことができるだろう。鶴見は、ギリシア人・ローマ人と日本人が似ていると主張しているが、彼がその類似性を「死にたいする修養」の点に見出しているのは注目に値する。『対比列伝』には「立派に戦い、立派に死ぬ」タイプの主人公がよく出てくる(ex. 小カトー、キケロー、ブルートゥス)わけだが、鶴見は、明らかにこれを当時の日本―軍国主義化が進んでいた―における「御国のために死ぬ」の思想と結びつけようとしている。プルータルコスが執筆にあたって「死にたいする修養」をどの程度強く意識していたのかはわからないが、いずれにせよ鶴見は、この一点に当時の日本人読者の目を向けさせようとしているわけだ。
西洋古典受容の分野では、しばしばギリシア・ローマ文化の「濫用/悪用」(abuse)ということがテーマになるが、鶴見の『対比列伝』の紹介の仕方は、果たしてどのように評価すればよいのだろうか。
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