ギリシア・ラテン文学研究における時代区分の問題

昨日で「平成」が終わり、今日「令和」がスタートした。メディアでは、少し前から「時代論」(「平成とは○○」etc.)が盛んで、これはもうしばらくのあいだ続くだろう。僕も、以前から、時代区分なるものに興味をもっているのだが、元号が変わったこの機会に、思うところを述べてみようと思う。ただ、日本社会のことを語る資格は僕にはないので、話は、専門としているギリシア・ラテン文学のことに限りたい。

 文学史にはさまざまな説明の方法があるが、ギリシア・ラテン文学の場合は、(切り分けられた)「時代」が理解のポイントとされることが多い。ギリシア文学においては、「アルカイック期」「古典期」「ヘレニズム期」「ローマ帝政期」の4つが、ラテン文学においては、「共和政期」「黄金期」「白銀期」の3つが使われるのが標準的だ。これらは、なかなかよくできた区分ではあるかもしれないが、ときに、作品の評価―文学研究においてこの上なく重要な作業だ―に悪しき影響をおよぼすことがある。たとえば、ラテン文学の「黄金期」と「白銀期」だが、これらの表現は、前者に属するウェルギリウス、ホラーティウスの作品よりも、後者に属するルーカーヌス、ユウェナーリスの作品のほうが「劣っている」、といった考え方を誘発しかねない。彼らの詩を読み比べたとき、一方が他方より「優れている」ないし「劣っている」などということは、何を根拠に主張できるだろう。「黄金期」「白銀期」といった、文学史家による「人工的構築物」に惑わされてはいけないのだ(余談だが、僕は、逸身喜一郎氏が『ギリシャ・ラテン文学』のなかで述べる(17頁)、「ギリシャ古典期以前の文学」と「ヘレニズム・ラテン文学」という区分けが、かなり気に入っている)。

 同様のことは、僕が学生時代から熱心に研究を続けている、「第二次ソフィスト時代」(英語でSecond Sophistic)についてもいえる。一般的に、この名称は、演示弁論のプロ(=ソフィスト)がローマ帝国内で人気を博した、紀元後の1~3世紀を指すものとして使われるのだが、じつは濫用するのは危険といえるものである。というのも、この概念は、紀元後2世紀の後半から3世紀の前半にかけて活躍した、ピロストラトスという個人(彼自身ソフィストであった)によって「創られた」ものだからだ。この人物は、著書の『ソフィスト列伝』のなかで、プラトーンが敵視した、紀元前5世紀のいわゆる「ソフィスト」たちの営みのことを「古いソフィスト術」と呼び、それと対照させるかたちで、同時代のローマの弁論家たちの営みのことを「第二のソフィスト術」と呼んだ。そしてこれが、現代の学者たちの(いささか乱暴な)解釈作業を経て、「第二次ソフィスト時代」なる概念を生み出したのである。この名称は、便利に使われる傾向があるが、たとえば、プルータルコス(後45~120頃)、パウサニアース(後160頃活躍)、ルーキアーノス(後120~180頃)といった知識人たちを、まとめて「第二次ソフィスト時代の作家」とみなしてしまうのは問題であるように思う。彼らの作品を読んだとき、そこになにか共通性を見出すことは、いささか困難であるからだ。

 「平成」でも「令和」でもそうだが、時代の名称というのは、あくまで一部の人間が創り出した、イデオロギー性をともなうラベルであることを忘れてはいけないと思う。「第二次ソフィスト時代」などの表現が、学問上、有益であることは間違いない。ただ、あまりにこの類の人為的名称にこだわると、(広い意味での)過去を誤ったかたちで分析することになってしまうかもしれない。僕は、時代区分の有用性を否定するわけではないが、出来事それ自体(文学研究の場合は、作品の中身)を見つめることが一番大切だと考えている。

【参考文献】

逸身喜一郎『ギリシャ・ラテン文学―韻文の系譜をたどる15章』研究社、2018年。

松本仁助・岡道男・中務哲郎(編)『ギリシア文学を学ぶ人のために』世界思想社、1991年。

松本仁助・岡道男・中務哲郎(編)『ラテン文学を学ぶ人のために』世界思想社、1992年。

つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

このサイトでは、学者の卵である私、勝又泰洋が、日々の勉強・研究について(もっぱら自身の備忘のために)簡単な文章をものしています。サイト名の「つねに多くのことを学びつつ年をとる」は、古代ギリシアの政治家ソローンによる詩の一節です。これを座右の銘として、毎日マイペースに学問に励んでいます。

0コメント

  • 1000 / 1000