ここ2週間ほど、5月25日(土)開催のワークショップ「日本における西洋古典受容」(詳細は下のリンクを参照)での発表の準備に追われていた(これまで継続してこのブログサイトを訪問してくださっていた皆さま、この期間、更新がきちんとできておらず、申し訳ありませんでした)。これは無事に終わり、今日、京都に帰ってきた。ようやく心身ともに落ち着いたということで、簡単にワークショップのことについて記しておきたい。
僕は、澤田謙(さわだ・けん、1894~1969)という、戦前・戦中は政治活動・執筆活動に勤しみ、戦後は子供向けの伝記作品を多数残したことで知られる人物による、『少年プリューターク英雄伝』(1930年)なる本について話をさせてもらった。この作品は、プルータルコス『英雄伝』の「著者独自編集版」といえるもので、澤田が日本の少年少女向けに『英雄伝』を書き換えた、「偉人伝」のジャンルに属するものである(この本については、2019.4.27の記事でもう少し詳しく紹介しているので、興味がある向きはそちらを参照されたい)。ワークショップ参加者の方々から、有益なコメントを数多く頂戴したが、それを受けてこれからさらに調査を進める必要があると考えた点は、大きく2つある。
一点目は、澤田が用いた資料にかんすること。今回の僕の発表のような「アダプテーション研究」では、オリジナル資料(わかりやすくいえば「原典」)の特定がたいへん重要な作業になる。ただ、たいへんもどかしいことに、澤田の『少年プリューターク英雄伝』においては、資料にかんする記述がほぼゼロなのである。澤田が翻訳でプルータルコスを読んだのは間違いないが、彼は、日本語訳(これは英訳からの重訳であるはず)を使ったのか、それとも英訳を使った(澤田は英語は読めた)のか、わからない。僕は、澤田書における10の「英雄伝」のなかで、ハンニバルの伝記をメインで扱った(「大豪ハンニバル」という一章がある)のだが、そもそも「ハンニバル伝」というものは、プルータルコスの『英雄伝』には存在しない。澤田は、プルータルコスの『ファビウス・マクシムス伝』・『マルケッルス伝』・『フラーミニーヌス伝』におけるハンニバル関係の記述を参考にしたと述べているが、伝記全体において澤田自身による加筆があちこちにあるのは確実だ。彼はいったいどのように作業を進めたのか。僕は、発表では、「はっきりとした記述がないので、資料の詳細は不明」としてしまったが、当時出回っていたプルータルコスの翻訳やギリシア・ローマ史の本にあたってみれば、なにかヒントを得られるのでは、というコメントを頂戴した。これは実行しなければならない。
二点目は、澤田の政治思想にかんすること。著作である『ムッソリニ伝』(1928年)・『ヒットラー伝』(1934年)のなかで、ムッソリーニやヒットラーといった「ファシズム(ないし全体主義)の権化」を高く評価していることなどから考えて、澤田は基本的に右派的な思想をもっていたと考えてよさそうだが、これはより緻密な分析を必要とする。僕は、発表のなかで、ハンニバルにかんする澤田の記述と「天皇中心主義」の結びつきを指摘したのだが、それにかんして、天皇(ないし天皇を中心に置く国家主義)にかんする澤田の考えをもっと調査してみてはどうか、というアドバイスを頂戴した。「右派」のなかにもさまざまな種類があるわけで、澤田は具体的にはどのような立場をとっていたのだろうか。
今回のワークショップでの発表は、7月の国際学会での発表のための「中間報告」という位置づけだった。あとおよそ1ヶ月、追加のリサーチを必死に進めたい。
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