ロンドンでの国際学会(その二:自分たちの研究発表)

前回(2019.7.14)は、学会の概要について記したが、今回から、テーマ別に細かい話をさせてもらおうと思っている。シリーズ第二弾の本記事では、僕たち自身の研究発表について書きたい。

 全部で87あるパネル(タイトルやアブストラクトは、下に載せた公式ウェブページで見ることが可能)は、運営サイドによって、5日・6日・7日・8日のうちの、午前の部(9:30~11:30)か午後の部(15:00~17:00)に割り振られ、僕たちのパネルは、6日の午後の部だった。終了後、パネルのメンバーでも話をしたのだが、出番は早すぎず遅すぎずで丁度良かったと思っている。たとえば、もし8日の午後の部(つまり最後)にでも割り振られたとしたら、緊張で学会を楽しむことなどできなかったと思う。

 僕たちのパネルのメンバーは、僕を含めて4人。「我々はギリシア人/ローマ人である―近現代の日本における場所錯誤的な西洋古典受容」(We Are the Greeks / Romans: Anatopistic Classical Receptions in Modern Japan)というタイトルを掲げ、ひとりひとりの発表はそのケース・スタディだった。これは伝統的なギリシア・ローマ学の視点からすると突飛なテーマにみえるかもしれないが、けっしてそんなことはない。「ギリシア・ローマ世界はヨーロッパ人の精神の源」「ギリシア・ローマの文物はヨーロッパのもの」といった見方は、いまや事態を適切にあらわしたものとはいえない。ギリシア・ローマ文化は、文字通り「全世界」的な影響力を行使してきた(流行りの言葉を使えば、グローバルな展開を見せてきた)のであり、それこそアジアでもさまざまなかたちで利用されてきた。これは僕たちのパネルの立場を正当化するための我田引水の見解などではなく、学問的な事実である。たとえば今回の学会でも、僕たちのパネルと方向性を同じくするものとして、「中国におけるオウィディウス」(Ovid in China)といったパネルが存在していたが、これも奇抜なテーマなどではなく、むしろ掘り下げてしかるべきものなのだ(余談だが、いま中国では、オウィディウスの全作品にかんして、中国語による註釈付き翻訳を完成させる国家プロジェクトが進んでいる)。僕たちのパネルにはそれなりの数の方が足を運んでくださったが、おそらくこの方々は、アジア世界における西洋古典の受容に興味をもっているのだと思う。

 全体で2時間という制限があったため、1人あたりの発表時間は20分程度(これにプラスして質疑応答が5分)ということにした。僕は、国家主義時代の日本(太平洋戦争に突き進んでいく前の日本)における、プルータルコス『対比列伝』の受容について話をさせてもらったのだが、短い時間のなかで、ある程度聴衆の方々にポイントを伝えることができたと思っている(ただ、英語の表現やスライドの使い方について、多数の反省点があるのはいうまでもない)。質問も出た(話のなかで僕が強調した「ファシズム」の日本的な意味にかんするもの)ので、うまく答えられたかは別として、安心した次第だ。

 4つの個別発表が終わったあと、「全体討論」を15分弱行うことができたが、ここで出てきた質問のうち、とくに印象に残っているのが、「西洋古典受容とかかわった日本人は、ギリシアとローマをどの程度区別していたのか」というものだ。あとでパネルのメンバーのあいだでも話題になったが、この問いは僕たちにとってまさに盲点だった。西洋古典受容の文脈では、「ギリシアか、それともローマか」といった問題は非常に重要で、たとえばドイツのヴィンケルマンやゲーテのことを考えた場合、彼らが興味をもっていたのは、明らかにギリシアのみである。これは僕の勝手な考えだが、ヨーロッパにおいては、しばしばナショナリズムの話が絡んでくるので、この区別は蔑ろにできないのだと思う。ただ、それとは異なる歴史的背景をもつ日本はどうなのだろうか。僕は、僕の取り上げた材料(澤田謙という文筆家が1930年に出版した、『少年プリューターク英雄伝』なる、『対比列伝』の翻案)にかんして、という条件付きではあるが、「ギリシアとローマの区別はあまり重要ではない」という見解を示させてもらった。

 こういった問題にきちんと解答する必要があるといったことも含め、今回の学会で、僕たち4人には、多くの「宿題」が課せられたと考えている。未開拓の分野で前進するための力を与えてくださった聴衆の方々には、本当に感謝している。

つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

このサイトでは、学者の卵である私、勝又泰洋が、日々の勉強・研究について(もっぱら自身の備忘のために)簡単な文章をものしています。サイト名の「つねに多くのことを学びつつ年をとる」は、古代ギリシアの政治家ソローンによる詩の一節です。これを座右の銘として、毎日マイペースに学問に励んでいます。

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