今日の現代神話学の講義では、ドイツの民族学者A・E・イェンゼン(1899~1965)を取り上げ、彼の『殺された女神』(1966年)で主題となっている「ハイヌウェレ神話素」の解説をした。イェンゼンがインドネシアのセラム島で採集した話で、ココヤシの木から生まれた少女ハイヌウェレの細断された身体部位が、のちにさまざまな種類の芋に変化した、というものだ。「死体化生型」の神話のなかでもとくによく知られたものだと思う。
学生にはいつもどおりコメントシートを書いてもらったわけだが、とくに反響があったのは、イェンゼンによるユング(彼のことは先週の授業で扱った)批判のことだ。『殺された女神』のなか(邦訳143頁以下)で、イェンゼンは、古代ギリシアのペルセポネー(ないしコレー)の拉致と地上復帰の神話を「ハイヌウェレ型」とみなして、「なぜ空間的に離れたインドネシアとギリシアで、パターンを同じくする神話が存在しているのか?」という問いを立てている。そしてそのうえで、ユング流の「(心理学的)平行論」(人類の集合的無意識のゆえに、同じ型の神話が同時発生した、と考える)を説得的でないとして退け、かわりに「伝播論」(ある土地から別の土地へ神話が伝わった、と考える)が妥当であることを主張している。民族学者ならではの見解だろう。
この「平行論vs.伝播論」は、神話学の一大テーマで、どちらが正しいとは容易に断定できない。M・ヴィツェルらの「世界神話学説」で伝播論がベースになっていることを考えると、最近ではこちらが有力なように見えるが、ユング的な平行論も捨てがたい。時代と場所は違っても、けっきょく人間は人間なのだから神話の中身も似てくるのでは、と考えたくなる。
この問題については、次の年明けの授業で補足をしようと思っている。冬休みのあいだにまた関連の文献を読んでおくつもりだ。
【参考文献】
Ad・E・イェンゼン(著)、大林太良ほか(訳)『殺された女神』弘文堂、1977年。
後藤明『世界神話学入門』講談社、2017年。
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