今から15年くらい前だろうか、日本には「脳ブーム」がきていた。養老孟司さんや茂木健一郎さんが各種メディアで活躍されていた時期、といえばわかりやすいかもしれない。
ただ当時の僕は、別にあまのじゃくでもなんでもなく、脳に注目することにまったく興味をもてなかった。なぜそうだったのかを今考えてみると、そのとき僕がまだ中学生か高校生だったことと関係すると思う。あのときの僕は、脳を、「学校で授業をよく聞いて、良い成績をとるために使うもの」ととらえていた。僕はそこそこ真面目で、テストの点も悪くはなかったので、「自分は脳をしかるべき仕方で使っている」と信じきっていた。テレビで脳が取り上げられても、これは脳の使い方がわからない(要するに「学校の勉強」ができない)人に向けられたもので、自分には関係のない話だと思っていた。
今思うと勘違いもはなはだしい。脳は、中学・高校で行われる「学校の勉強」のためだけに使われるものなどではなく、生活のあらゆる面で用いられる、きわめて重要な装置なのだ。こんな話は当たり前だが、正直に告白すると、これが実感のレベルにまで至るようになったのは、じつはごく最近だ。
単なる(自己満足的)仮説だが、たとえば、論文を書く(+研究書を読む)ときの脳のモード、大学で授業を行うときの脳のモード、人と他愛もない会話をするときの脳のモード、日常生活をすすめる(料理、洗濯、お風呂掃除など)ときの脳のモード、ブログの文章をものすときの脳のモードは、それぞれ異なっているはずで、その都度適切なものに切り替える必要がある。これをうまく行わないと、作業結果もまずいものとなる。
近頃は、この仮説にもとづいて、自分の脳の状態に常に意識を向けながら、目の前のことにあたっている。15年遅れの「(ひとり)脳ブーム」だ。
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