今年度(2019年4月~2020年3月)の神戸新聞文化センターでの講座のテーマは、「ローマ神話」で、プルータルコス『対比列伝』やリーウィウス『ローマ建国以来の歴史』のなかにみられる神話物語を紹介していこうと思っている。その準備にあたり、丹羽隆子『ローマ神話―西欧文化の源流から』(大修館書店、1989年)を頻繁に参照しているが、これはとても良い本だ。
日本語で書かれた一冊で「ローマ神話」の全体像を把握することができるのは、管見のかぎり、丹羽氏の本だけだ。書名に「ローマ神話」という表現を含んだ本は数多くあるが、実際は、ギリシア神話のおまけとしてそう記載されている場合がほとんどで、解説も、せいぜい「狼に育てられた双子(=ロームルスとレムス)」とアエネーアースにかんするものくらいだ(補足だが、スチュアート・ぺローン著、中島健訳『ローマ神話』は、書名がミスリーディングで、中身は「ローマ宗教」の本である)。
丹羽氏の本は、基本的に、「再話/リトールドretoldもの」に属し、物語の紹介に重きが置かれている。アエネーアースのトロイアー脱出、ロームルスによるローマ建国、ルクレーティア事件を引き金とする王政崩壊、共和政初期のさまざまな事件(ex. コリオラーヌスによる祖国への進軍)、こういったものが次々に語られ、全体の流れがわかりやすく把握できるよう構成されているのだ。
細かい点で重宝しているのは、巻末の「作品案内」(220~223頁)だ。ここでは、本編で触れられたローマ神話を題材とする、近現代ヨーロッパの文学・音楽・美術が一覧にされている(ただ、丹羽氏も述べているように、名前が挙がっているのは有名な作品に限られている)。僕も、カルチャーセンターの講座で、必ずこういったものを紹介することにしているので、具体的にどのような作品があるのかが簡単にわかるのが嬉しい。
ひとつ、惜しむらくは、本書に「神話学的視点」が欠けていることだ。具体的にいえば、「どのような著述家が、どのような時代に、どのような語り口ないし姿勢で特定の神話物語を語っているのか」ということについてほとんど言及がないのだ。「はじめに」の部分で典拠の話が出てくる(12~13頁)ものの、神話の紹介を行う本編では、丹羽氏が具体的に資料のどの部分を参考にしたのかが明記されておらず、読者によっては、特定の神話をどのように受け止めればよいのか困惑するかもしれない。ギリシアと比べたとき、ローマの場合は、「神話」の位置づけの問題が重要であるはず(とくに「歴史」との関係において)なので、この点は深く掘り下げられて然るべきである。とはいえ、これはただの「ないものねだり」だろう。丹羽氏の本の欠を補うような、「神話学的視点」からみたローマ神話の本が専門家によって書かれるべきだと、僕は以前から強く思っている。
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