2018.12.31 07:262019/1/7の「知るほどおもしろギリシア神話」NHK文化センター梅田教室にて、私が毎月第一月曜に担当している「知るほどおもしろギリシア神話」の次回の案内です。日時は、2019年1月7日(月)10:30~12:00です。ホメーロス『オデュッセイア』におけるオデュッセウスの漂流譚(第9歌~第12歌)のご紹介をします。本叙事詩のなかでおそらくもっともよく知られた部分で、ファンタジー要素にあふれたさまざまな話が主人公によって語られていきます。具体的な中身をお知りになりたい方は、ぜひお申し込みのうえ、ご参加ください。
2018.12.30 10:26「未来の文学/文化批評」としてのアダプテーション批評武田悠一『差異を読む―現代批評理論の展開』(彩流社)が発売されたところだが、さっそく書店で購入した。まず読んでみたのが、前々から楽しみにしていた、「エピローグ」のアダプテーション批評にかんする論考だ。 武田氏は、昨今の「文学の衰退」の問題に言及することから本章をはじめている。そして氏によれば、このような状況のなかで新たな「文学の力」を創り出す可能性を秘めているものが、アダプテーション批評なのだという(pp. 225-226)。 その理由として、本論考をつうじて武田氏が強調するのが、アダプテーション批評における「間メディア性」である。少し前までのアダプテーション批評は、文学作品(とりわけ小説)の映画化を取り上げることが大半だったようだが、現在の研究者たち...
2018.12.29 12:57不在の人物を際立たせる叙述技法Francis Cairns, Virgil's Augustan Epicの第7章'Lavinia and the Lyric Tradition'を読んだ。ウェルギリウスが『アエネーイス』で行うラーウィーニアの人物造形においては、ギリシア抒情詩における少女の描写の影響があるのでは、というのが基本的な主張。ただ今回は、この論点ではなく、ある別の議論に興味をもったのでメモしておく。 その議論とは、叙事詩における人物描写の技法にかんするものである。Cairnsによれば、叙事詩では、ある人物の重要性が示されるとき、それは、他の登場人物による当該の人物へのリアクションをつうじて間接的な仕方でなされる、という(pp. 153-154)。簡単に言い直すと、人物A...
2018.12.28 14:10「天使」と「妖怪」としてのラーウィーニアサンドラ・ギルバートとスーザン・グーバーの『屋根裏の狂女』(Sandra M. Gilbert and Susan Gubar, The Madwoman in the Attic: The Woman Writer and the Nineteenth-Century Literary Imagination, New Haven, 1979)は、エレイン・ショウォールターのいう「ガイノクリティックス」(作者としての女性に焦点を当てる研究)の古典的名著だ。 その序論にあたる部分で、著者は、これまで男性作家が女性という存在をどのように表象してきたかを論じているが、この問いにたいする答えはきわめてシンプルだ。すなわち、あらゆる男性作品において、女性はかな...
2018.12.27 12:46書かれた乙女(scripta puella)Maria Wyke, 'Written Women: Propertius' scripta puella'という論文を読んだ。scripta puellaというラテン語表現(詳細は後述)はこれまであちこちで見聞きし、その具体的意味がずっと気になっていた。Wykeの論文は、この表現を業界に広めた意義深い研究だ。発表されたのは今から30年ほど前の1987年。著者のWykeはいまやラテン文学の大御所だ。 プロペルティウスは、全四巻から成る自身の作品のなかで、キュンティアなる女性を恋の相手にしているわけだが、その前半部にひとつの問題がみえるとWykeは言う。いわく、第1巻をみると、この女性の歴史的実在性が認められそうなのにたいし、次の第2巻に移ると、それは...
2018.12.26 12:342018年最後の授業今日はラテン語文法の授業を行ったが、これで2018年の大学の授業はすべて終了した。まだ来年に数回授業があるが、ひとまず学生たちにおつかれさまと言いたい。冬期休暇のあいだは、帰省する者、旅行に行く者、おせち料理をたらふく食べる者、いろいろいるだろうが、のんびりと過ごしてほしい。 大学の教員によっては、授業が終わり休暇期間に入ることを喜ぶ方もいるようだが、僕はその逆だ。大学という場で教えることが好きなので、それがなくなってしまうと、少し悲しい気持ちになってしまう。今日も、授業が終わり、すべての学生が教室から出て行ったときには、一抹の寂しさを覚えたということをここで告白しておきたい。 こういった気持ちの面もそうだが、「研究者の知的生活」というプラクティカルな...
2018.12.25 16:06アエネーアースの恋心?D. C. Woodworth, 'Lavinia: An Interpretation'という論文を読んだ。とても古いもの(発表は1930年)だが、ウェルギリウス『アエネーイス』のラーウィーニア像について考えるときには必読の文献だ。 この論文は、『アエネーイス』のなかのラーウィーニアにかんするパッセージをすべて(といっても数は多くはない)集め、そのデータをもとにこの人物の性格をとらえようとする試みである。その結論はきわめて明快だ。すなわち、沈黙を保ったまま周囲の状況(ないし運命)に動かされるだけのラーウィーニアは、「個性というものをもたない」(p. 194)、「ローマの娘の理想像」(p. 186)である、という。「ラーウィーニアのモデルはリウィア(初...
2018.12.24 13:26パンフィーリ宮殿の『アエネーイス』今日、朝日カルチャーセンターの講座で、ウェルギリウス『アエネーイス』のいくつかの名場面を描くピエトロ・ダ・コルトーナ(1596~1669)の連作絵画の話をした。Rowlandの論文(下記【参考文献】欄に詳細あり)を参考にしながら、その興味深い点をここにメモしておきたい。 1651年から1654年にかけて制作されたこの壮大な天井のフレスコ画(下に画像あり)は、ローマのナヴォーナ広場にあるパンフィーリ宮殿で見ることができる。ここはもともと、当時教皇を輩出するほど力をもっていたパンフィーリ家の宮殿だったが、いまは、カラヴァッジョやティツィアーノといった有名画家の作品を多数おさめる美術館となっている。 ここで注目したいのは、ピエトロ・ダ・コルトーナの素材が『ア...
2018.12.23 08:53ウェルギリウスとフェミニズム批評ここのところ、ル=グウィンの『ラーウィーニア』論の準備作業として、ウェルギリウスの『アエネーイス』の女性表象について調べている。そんななか偶然にも、2019年のクーマエ・シンポジウム(毎年イタリアのクーマエで行われる、ウェルギリウス学会(Vergilian Society)が主催する研究集会)のテーマが、「ウェルギリウスと女性」(Virgil and the Feminine)であることを知った。 その案内文(リンク先を参照)によると、フェミニズム批評を適用したウェルギリウス研究の数は少なく、ホメーロスやオウィディウスの作品と異なり、伝統的にウェルギリウスの作品はフェミニズム思想のための沃野とはみなされてこなかったらしい。要するにこれが学会側のテーマ設...
2018.12.21 18:23ラーウィーニアの赤面T. E. Jenkins, Antiquity Now: The Classical World in the Contemporary American Imagination (Cambridge, 2015)のなかにある、ル=グウィンの『ラーウィーニア』にかんする議論(pp. 184-191)を読んだ。 そこで知ったのは、ル=グウィンが『ラーウィーニア』を書くにさいし注目したのは、ウェルギリウス『アエネーイス』で描かれるラーウィーニアの「赤面」(英:blush)である、ということだ(p. 186)。問題のウェルギリウスの表現は以下のとおり。 この母[=アマータ]の声を聞き、ラーウィーニアは涙を火照る頬いっぱいにした。と、火のように深い赤みがさし...
2018.12.21 14:00批評理論にかんする新刊書武田悠一『差異を読む―現代批評理論の展開』(彩流社)が間もなく出版されるようだ。同著者による、本書の姉妹編でもある『読むことの可能性―文学理論への招待』(彩流社、2017年)がたいへん勉強になったので、今回の本も手に取るのが楽しみだ。 出版社HPにはすでに概要および目次が出ている(リンク先を参照)。個人的にとくに気になる章は2つある。ひとつは、ル=グウィンの『闇の左手』をジェンダー論で読み解く章だ。理由は単純で、僕自身がちょうどいまこの作家の『ラーウィーニア』の研究をしており、これも同じくジェンダー論で読むことが可能と考えているためだ。そしてもうひとつは、「エピローグ」のアダプテーション批評にかんする章。というのも、来年度、仕事先の大学で、「アダプテー...
2018.12.20 14:30イェンゼンのユング批判今日の現代神話学の講義では、ドイツの民族学者A・E・イェンゼン(1899~1965)を取り上げ、彼の『殺された女神』(1966年)で主題となっている「ハイヌウェレ神話素」の解説をした。イェンゼンがインドネシアのセラム島で採集した話で、ココヤシの木から生まれた少女ハイヌウェレの細断された身体部位が、のちにさまざまな種類の芋に変化した、というものだ。「死体化生型」の神話のなかでもとくによく知られたものだと思う。 学生にはいつもどおりコメントシートを書いてもらったわけだが、とくに反響があったのは、イェンゼンによるユング(彼のことは先週の授業で扱った)批判のことだ。『殺された女神』のなか(邦訳143頁以下)で、イェンゼンは、古代ギリシアのペルセポネー(ないしコ...